インド百景。

坂田マルハン美穂のインド生活通信

 
 

訪れる団体によって、その状況は異なり、わたしたちは訪問先で、どういうことをすればよいのか、どのように接すればいいのか、毎回、臨機応変に対応する必要がある。

前回、HIVの子どもたちが暮らす施設に訪問したときは、思いがけず広いホールに通されて、子どもたちと時間をかけて、折り紙で遊ぶひとときを得られた。今回は、みな授業中ということもあり、各クラスを短時間ずつ巡るという形であった。念のため、新聞紙での折り紙の材料や、以前行った「釣り遊び」の道具なども持参していたが、今回は出番がなかった。また、別の機会に活用しようと思う。

子どもたちにとっても、そして同行したミューズ・クリエイションのメンバーにとっても、互いになんらか、感じ合え、忘れ得ぬ瞬間があればいいと、願っている。

わたしたちは、「施してあげている」「訪問してあげている」のではない。捨てるには忍びない、古くなった衣類や玩具を、使ってもらっている。未知なる世界の存在を、見せてもらっている。

そのことによって、自分たちの置かれた環境を顧み、それぞれに、思うところ、思いを馳せ、日本で暮らしているだけでは決して気づくことのない事柄に目を向けることができる。

他者への貢献を目的とした「慈善活動」を名目としてはいるが、関わる過程においての経験は、自分たちにとっても、非常に意義深いのだということを、忘れずにいなければと、改めて思う。

いつものように入り口で花を携え、歓迎してくれる子どもたち。本当に、かわいい。今回は、ミューズ・クリエイションの有志、合計11名とともに訪問した。前回の訪問からはすでに3年が過ぎており、わたし以外はみな、初めての訪問だ。つい最近、訪れたばかりのような気がしていたが、3年も過ぎていたことに驚く。

低学年のクラスは、机がなく、地べたに座ってのお勉強。制服がある子とない子が入り交じっている。大勢の見慣れぬ顔の大人たちに、最初は戸惑いを見せるのだが、先生の説明をしっかりと聞き、事情をつかんで、次第に打ち解けてゆく。

子どもたちが、歌を披露してくれたあとは、わたしたちも、いつものHead, Shoulder, Knees and Toesの動きのある子供の歌を披露。子供もたちも、一緒に歌う。

約500名の生徒が集うこの学校。クラスの数も多く、すべてを回るのがなかなかに大変だった記憶があることから、今回は数クラスを訪れ、ミューズ・クリエイションのメンバーらと、歌ったり、折り紙を披露したりする予定でいた。

しかし、運営者のナガラジ氏から、

「全部の教室を回ってください。さもなくば、来てもらえなかったクラスの子どもたちが、不公平だと悲しみますから」

と言われ、確かに、と納得。すべてのクラスを訪れることにしたのだった。以下、低学年のクラスから、順番に巡った様子を、主には写真で紹介する。似通ったものが多いけれど、訪れたわたしたちにとっては、ひとつひとつが大切な光景なので、自分たちのためにも、ここには多くの写真を残しておこうと思う。

低学年の子どもたちは、英語の勉強もしているとはいえ、まだまだ、自分たちから積極的に話しかけてくるという状況ではなく、先生の説明が必要だ。これは毎度毎度、書いていることだが、こういう施設の子どもたちは、本当に、お行儀がいい。ストレートに、わたしたちのことを歓迎してくれる。そしてどの子も、わたしたちの挨拶や歌などに、真剣に耳を傾けてくれる。目が、輝いている。

歌だけでなく、踊りを披露してくれる女の子たち。右は「猿の真似」をする少年。他の生徒たちも大喜びだ。

どの子たちも、教科書やノートを大切に使い、丁寧に書き込み、しっかりと勉強をしている。日本の小学生にあたる子どもたちは、地元のカンナダ語、公用語のヒンディー語、そして準公用語の英語のほか、算数、社会や理科を学ぶ。

創設者たちの名が刻まれた石を示すナガラジ氏。その上には、インドの国歌、ジャナ・ガナ・マナの歌詞がカンナダ語で記されている。

定期的に行われるノートやテキストなどの配布。たまたまこの日が低学年への配布日だったので、わたしたちから手渡して欲しいとナガラジ氏に頼まれる。子どもたちも、その方が喜んでくれるようだ。うれしそうな笑顔がそこここに。

教材や文房具を大切に、慈しみながら、子どもたちは勉強をしている。

上級生の教室がある上の階へ行く前に、就学前の子どもたちが預けられた部屋へ。薄暗い部屋の中で、各々、小さな黒板とチョークを持って、文字を書く練習をしていた。いつものことだが、最初、子どもたちの多くは驚きで、表情を硬直させる。この日もまた、涙をぽろぽろと流して、泣き出してしまう男の子がいた。こちらがどんなに笑顔で接しても、やっぱり、びっくりするのだろう。

わたしが2、3歳のころ、母が近所に暮らす米国人の女性のもとに、わたしを連れて行って英語を慣わせようとしたらしいが、見慣れぬ白人女性に声をかけられたわたしは泣き出し、英語を習う機会を逸したらしい。なんと惜しいことをしたことか。あのときに英語を習っていれば、大人になって苦労をせずにすんだと思うのだが、ともあれ、見慣れぬ顔は子供にとって、それなりに怖いのだ。こればかりはもう、どうしようもない。微笑まれても怖い。むしろ、怖い。

楽器やスポーツ用具、理科の実験道具などがおさめられた部屋。これらもすべて、各方面からの寄付によって購入されている。

高学年の教室は雰囲気が一変。子どもたちは、俄然、積極的に話しかけてくる。英語を流暢に話せるまではいかないものの、わかる言葉を駆使して、コミュニケーションをとろうとしてくれるのだ。

あっちこっちで、「あなたのお名前はなんですか?」と聞かれるメンバー。ひたすら、互いに、名前ばかりを確認し合う。

高学年の教室では、『見上げてごらん、夜の星を』を歌う。各教室にキーボードを運び入れるのは困難なので、「アカペラ」である。今回の教訓は、アカペラでも歌いやすい、「聴かせる」持ち歌を増やすべし、ということであった。低学年や幼児向けの遊びの歌は、英語でも何曲か練習していたが、「聴かせる系」の英語の曲を歌いたいと感じた。とはいえ、日本の歌詞であっても、真剣に子どもたちが聴き入ってくれるのはうれしいことである。

先生たちも歌を喜んで聴いてくれ、どの教室でも「もう一度、歌って!」と頼まれ、都合、4、5回歌い、その都度、歌詞の意味を説明するのだった。

「歌が終わると、みな一斉に、拍手をしてくれる。

「どうして、そんなに上手に合唱できるの?」と先生に問われ、普段のミューズ・クリエイションの活動についてを説明する。わたしたちの「熱心な活動ぶり」に先生も感嘆していた。

まっすぐに見つめる子どもたちの、淀みない視線。

この生き生きとした子どもたちの視線の先に、どんな未来が待っているのだろう。

この日は、ナガラジ氏や先生方の他にも、この学校の資金援助をしている地元の男性がいらしていた。高学年のクラスを巡っているとき、彼が、「子どもたちに、なにかメッセージを託してください」と頼まれた。

子どもたちのバックグラウンドは、わたしもよくわかっている。月給が5000ルピーから10,000ルピーの世帯。両親はきちんとした教育を受けていない。大半が、界隈に暮らす農家であり、子どもたちへの教育に対しても、決して熱心とはいえない。以前から幾度も記しているが、公立の学校 (Government School)は事実上、破綻しているところも多く、たとえ無料でも通わせる価値はないところが多数だ。

だからといって、たとえ学費が安い私立学校であっても、通わせる余裕のない家庭の子どもたちが、ここには通っているのである。

この学校を卒業した子どもたちの半数は、近所にあるやはり無料のカレッジ(2年制)に入学するらしいが、低所得層から抜け出せるほどの賃金を得られる仕事に就ける人は、まだほとんどいないという。

学校を続けたくても、親が通わせまいとし、学校と親との間でのもめ事も少なくないと聞いている。まずは親を教育せねばならないのだとの話は、前回の訪問時に、先生方が異口同音に言っていたことだ。

わたしは、自分の経験を踏まえて、子どもたちに話をした。

学校で習う、すべての勉強は、大人になって形を変えて役立つこと。特に英語は、人と交流をする上で、また仕事の選択肢を広げる上で、とても大切だということ。

わたし自身は、子供のときにきちんと英語の勉強をしなかったので、大人になって苦労したこと。大人になると、自分で一からテキストを買って、たくさんお金を使って学校に通って勉強して、時間もお金もエネルギーも、ずいぶん余計に使ってしまった、だからあなた方は、学んだことがどんどん頭に入って来る今のうちにたくさん勉強しておいた方がいいですよ、と言ったことを、ゆっくりと、説明する。

インドはとても広い国で、その土地その土地で言語が異なる。だからこそ、英語やヒンディー語などの語学を身につけることは、同じ国民同士が話す上でも、最低限必要なことである。一方、自分のマザータン、第一言語であるカンナダ語や自分たちの文化を学び、大切にすることも重要だということ。

どの科目も怠らず、しっかりと勉強してください。

たとえ、あなたがたのご両親が、学校に行くなと言ったとしても、負けずに勉強をさせてもらってください。

幸運を祈ります。Good Luck.

Good Luck. ずいぶんと、大ざっぱだが、しかし、わたしから彼らに贈ることのできる、唯一の、切なる言葉だ。

これが先進国の子どもたちの前であれば、「夢を描いて」「希望を持って」「努力をして」ということを、具体的な例を織り交ぜながら、語れる。しかし、彼らの置かれた環境は、そんな言葉を軽く発せられるものではない。

たとえば、基本的なところで、食べ物。栄養のあるものを、決して豊かに与えられていないのだろう、だから細くて小柄の子どもたちが多い。そして、未だに根付いているカーストの問題。貧困層女性の置かれた困難な社会的立場。強固なコミュニティの慣習……。

ただ、勉強を続けるという一点においても、それを遂行できない障壁が、無数にある。

それでも、この子たちは、この学校で勉強ができるだけ、恵まれているとも言える。学べばたちまち、彼らの目は賢く輝き、著しい格差社会の下層に位置していることなど、まったく感じさせない。感じさせないだけに、本人の努力だけではどうしようもできない、立ちはだかる壁の高さ、厚さを、思うのだ。決して楽観的になれない。気安く励ますことは、できない。

あるクラスで、見覚えのある少年に再会した。上の写真、右端の少年の写真を、3年前に訪れた時、アップで撮影していたのだ。顔立ちはお兄さんになっているが、相変わらず、かわいらしい。

しかし、あと3年もたつと、あっというまにヒゲなど生やして、「おっさん」になるのだろうな。

今回の写真と3年前の写真、見比べれば、他の子どもたちの成長ぶりも、きっと確認できることだろう。

高学年のクラスを訪れた際、先生が「日本語にはいくつの文字があるのか」と問うので、平仮名と漢字についてを、簡単に説明した。漢字は、中国から来たもので数千あり、子供でも約1,000は覚えるのだ、ということを説明。

取り敢えずは、「川」や「山」など、簡単な「象形文字」を黒板に書いて、説明する。「上」「下」などの「指事文字」も覚えやすいものとして書いてみる。と、先生が、

「意外と簡単ね」

というので、そうでもないですよ、たとえばわたしの名前は結構ややこしいんです、と「美穂」と書いたが、あまり驚嘆の声が上がらなかったので、思いつく漢字で最も画数が多いものを、黒板に書く。


いくら画数が多いからって、この漢字を選んでどうすると、自らに突っ込みつつも、鬱。

意味は、depression! と、場に似つかわしくない英語を発する我。

そもそも、depressionなどと言っていられるような生活環境にない子供らに取っては、その言葉の意味などわかっていなかったはずで、大人からにだけ、苦笑をかったのであった。

そして最後のクラス。ここはもう、すでに大人のムード満点の子どもたちが勉強をしている。カレッジの入試に向けても勉強も、行っていると言う。

この年齢、思春期になると、今度は子どもたちに恥じらいが見られ、わたしたちに対しても、遠慮がちに話しかけてくる。ちょうど地理の勉強をしていたようで、地図帳を開いて日本の場所を確認し合う。

しかし、テキストは数種類が混在、地図のクオリティが低く、日本はあるものの、九州がないものもあったりする。日本の子どもたちが使うような、きちんとした地図帳があったなら、とも思う。

女子は三つ編みをしているから、なんとなく女子に見えるが、髪を下ろして普通の服を着たらもう、大人と区別がつかないムードである。

男子は制服を着ていても、もはや男子というよりは、おじさんである。

すべての教室を巡ったあと、最後に寄付の品々と寄付金をお渡しする。今回は、先日行ったミューズ・リンクスで集めた12,000ルピーに加え、ミューズ・クリエイションから18,000ルピー。合計3万ルピー、5万円相当を寄付したのだった。

帰り際、子どもたちの鼓笛隊が、演奏を披露してくれた。演奏というよりは、単に楽器で、マーチのリズムを取るだけの繰り返しではあったが、ご近所さんも見学しに来て、賑やかであった。