坂田マルハン美穂のインド生活通信

 
 

●オンラインショッピングを活用する。

話題転じて、インド。ここ数年のインドにおけるオンラインショッピングの急伸ぶりはすさまじい。これはまさに「すさまじい」と言って過言ではない、浸透ぶりである。つい最近まで、「現物を見て買う」ことを重視し、「クレジットカードでの支払い」を信用していなかった人が主流だったはずのインドが、若者世代の購買力が増したことに加え……と、能書きを書いていると終わらないので、現状だけ書く。

ともかく、あらゆる分野においてオンラインショッピングが浸透し始め、わたしの生活にも変化をもたらしている。まず家電やコンピュータ機器類などの大半を、Flipkart.comで調達するようになった。また、Amazon.inのインド進出に伴い、こちらでも文具やコンピュータの備品を購入した。その他、ファッションや食品はもちろん、オーガニック商品や家具、伝統工芸専門サイト、伝統的なテキスタイルをモダンにアレンジしたブティック、家具専門店、キッチン用品……と、ともかくジャンルは多岐に亘り、クオリティがいいものが手軽に入手できるようになった。

支払いに関して、C.O.D.(現金もしくはクレジットカードの「着払い」)が可能なところが多いのも、インドならではの特徴だろう。わたしも、ガーデンチェアやクローゼットなどの大物から、エアフライヤーやホームベーカリー、カラープリンタなどの家電類、洗練されたデザインの手工芸品など、昨年1年間でもかなりの商品を、オンラインで購入した。現状、すでに無数のサイトがあるが、jaypore.comやurbanladder.comなど、今のところ購入経験があり、お気に入りだ。

上の新聞記事にもある通り、これまで市場に出回る機会がなかった地方の伝統工芸の商品が、オンラインでインド国内のみならず、海外にまで発送をされるようになるなどの現象も見られている。この件については、また改めてきちんと記さねばな。と思う。今日のところは、このくらいにしておこう。


●過去の仕事をプリントアウトする。

一般に、家庭で使用するところのカラープリンタは、ともかくインク(カートリッジ)代が高かった。仕事でも、セミナーでも、カラーで資料を大量に作る機会が多かったが、それらはたいてい、モノクロ印刷ですませていた。もちろん、クライアントにはカラーでのデータを納品するし、セミナーなどではカラーでプレゼンテーションをするので、色は、生きる。

が、印刷となると話は別。何百枚もの膨大な資料を印刷した日には、カートリッジ代だけで何万円もかかるに違いなかったからだ。プリンタ本体が安くても、これでは本末転倒である。

ところが、だ。数年前にエプソンが新興国市場に向けて「タンク付」のカラープリンタを開発した。インドネシアを皮切りにタイなどでも発売されていたそれが、昨年インドでも販売開始されたのだ。

早速、数カ月前にFlipkartで購入したのだった。これがすごい。うれしすぎる。インクが潤沢すぎて幸せ。今までいったい、いくら費やして来ただろうと考えるだけでもいやになるほど、お得感に満ちあふれている。

そもそもカラー印刷の仕組みを考えれば、これが妥当な値段なのだ。なんであんなに高いんだ、と、不条理に思っていたからこそ、これが適正価格だと感じる。これで心おきなく、カラー印刷ができるようになった。商品に関する情報は、こちらの記事を参照されたい。

ともあれ、昨日は、過去の資料の中から、意義あるものをプリントアウトした。1ページ内に、パワーポイントの2ページ分を印刷。延々と印刷。合計500枚を越えた資料を、ファイルに閉じて、整理した。圧巻だ。こうしてプリントアウトすると、「仕事、したなあ」という感じがしてよい。これは、自己満足のためだけでなく、ミューズ・クリエイションやミューズ・リンクスを訪れた人にも目を通してもらおうと思う。

ミューズ・リンクス向けの資料も、手前味噌だがかなり充実している。データとして取っておくのではなく、有効利用をするためにも、人の目に触れてもらうことが大切だ。というわけで、これからも印刷するぞ。


●地産地消をより、意識的に。サステナブルな暮らしを、大切に。

インド生活も9年目となると、インドの市場の拡大とも比例しつつ、海外から取り寄せる、あるいは運び込む食材が激減した。いくどか記したが、このごろはもう、年に一度訪れる日本、もしくはニューヨークから調達する日本の食材も、限られている。

すべて、量より質。「上質な」、日本米、醤油、ごま油、海苔……このあたりが最低必要ライン。そして毎度おなじみ大切な「かやのやのだし」及び「野菜だし」。これは昨今の我が家に不可欠なもの。

あとは、「あるといいな」という第二ラインとして、味噌、鰹節、夫の好きな高野豆腐、ヒジキや昆布など。これらは、まあ、なくてもいい。

あとはインドで調達できる食材で、さまざまなおいしい食卓を実現できるのが現状だ。さて、本日の午後は、やはりFlipkartで購入した、英ケンウッド製のホームベーカリーにて、ピザ生地を作り、オーヴンでピザを焼いた。生地を捏ね、発酵させる手間が省けるだけ偉大である。

ピザソースは近所のローカル・ビジネスが販売開始したオーガニックのソース。チーズは印乳製品大手Amulのピザ用チーズ、そして近所の我が御用達ナムダリーズ(バンガロール拠点のスィク教徒が経営する農場&ヴェジタリアン野菜&食品店)のマッシュルームにチェリートマト、そして我が家の庭で育っているベイジル。

旨い。もう、十分、旨いっすよ。二人で平らげて、最早食べ過ぎ。

●ミューズ・クリエイションをはじめて、本当によかった。

はじめたら最後、どうなるか。その善し悪しをあれこれと考えたが、結局、やってみなければわからない、と、1年半前に始めたミューズ・クリエイション。この活動を通して、得てきたことの多さもまた、年末、ミューズ・クリエイションのサイトを整えながら、思った。

なんでも、やってみなければわからない。

それでもって、気持ちは言葉にして、口にして、伝えなければ、伝わらない。そんなことを思う年末年始でもあった。実は、ミューズ・クリエイションのメンバーから、コメントを書いてもらっていた。わたし一人があれこれと書いたところで、信憑性がなく、説得力もあまりない。参加している人の声を、関心を持つ人に読んでいただきたいと思った。

というわけで、普段、わたし自身も聞く機会のないこのような言葉に触れて、やりはじめてよかったと、切に思う。うれしいと思う。この活動を通して得たもの、得ているものについて、思いを馳せる。

■ミューズ・クリエイション メンバーの言葉 (←Click!)


●ミューズ・リンクスも、きちんとやろうと思うのだ。

一方、去年スタートしたミューズ・リンクス。インド(バンガロール)に暮らし働く人々のために、セミナーを行うことを目的とした企画だ。

昨年は3度のセミナーを実施したが、ミューズ・クリエイションと異なり、対象となる人々は、働いている。忙しい。伝えたい人に、的確に伝わっているとは思えない状況だ。

とはいえこれもまた、地道に続けて行くべき活動だと、実感している。というわけで、今年初の新たな企画(カジュアル版)も準備した。1月26日(日)、異業種交流サンデーブランチを開催する。ご興味のある方は、ぜひこちらを参照ください。

新年が明けて、少しずつ行動をしながら、思うところ多く。今日は思ったことを、少しずつ、書いてみようと思う。


●各種クローゼットを整理した。

整理整頓は大切だ。基本的にはきれい好きだが、それでも、放置している収納もあり、いつの間にか雑然としてしまっている箇所もある。そういう気になるところを、徐々に片付ける。

このごろは、要らないものを、潔く処分することを心がけている。インド生活のいいところは、不用品をリサイクルや寄付などに出しやすく「捨てる」ものが少ない点。使わなくても、コンディションがいいものは、捨てるに惜しい。だが、使ってくれる人がいると思うと、思い切り手放せる。有り難いことである。


●書棚を、片付ける。

本を処分するのは、精神的にきつい作業。だがこれも、インドで日本語を学ぶ人に寄付をしたり、あるいはジャパン・ハッバなどで販売したり、だれかに譲ったりできるのがよい。

とはいえ、捨てられない本もある。大学時代から、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.……と、30年近くも共にある本も少なくない。捨てられない大切なものは、思い出の品として、大切に、とっておく。ときどきパラパラとめくるだけで、当時の思いを反芻したり、新たな思いを紡ぎ出したり、させてくれることもある。


●音楽を、整理する。

音楽もまた、本に似ている。CDは捨てることなく、ファイルにまとめているが、しかしそれを開いて聴くことが減った。一方、iTunes Storeで購入した音楽は、iPhoneにもダウンロードされるので、毎朝、トレッドミルでウォーキングの際に聞くこともできる。便利。音楽に関しては、最近のデジタル化に感謝している。本は、未だに「本」でしか読む気にならないのだが。


●名刺入れを整理する。人間関係を整理する。

約2年ぶりに名刺入れを整理する。覚えていない人、すでに連絡先が異なっているであろう人のものを、バサバサと捨てる。バサバサと捨てながら、思う。出会いとは、なんだろうと。

ネットワークを広げることが重要な職種の人もあるだろう。わたしとて、出会いは大切だと思っている。しかし昨今。Facebookで何百人、何千人と友人がいる人を見ると、すごいな、と思う。わたしにはとても、人の名前を覚えていられない。

わたしは一応、面識の在る方のみ、Facebookの友達とさせてもらっているが、それでも一度お会いしただけの人、よく知らない人のタイムラインは、よほど印象的、実践的な投稿をする人でないかぎり、フォローしない設定にしている。そうなると、実は数が激減して、多分3割程度の人の情報しかフォローしていない現状だ。

何が言いたいかというと、わたし自身も、そのように「どうでもいい感じ」に見なされ、わたしの名刺もまた、バサバサと捨てられる名刺の中に紛れているとしたら、いったいその名刺に、何の意味があるのだろうと思い至った。

だから、決めた。今年は名刺をばらまかない、と。この方とは、本当に今後もおつきあいをすることになりそうだ、あるいは、おつきあいをさせていただきたい、と思う人に対して、丁寧にお渡ししようと思う。フリーランスのライター&編集者として独立した27歳。とにかく、名刺を配って、自分を知ってもらうこと、仕事をいただくことが大切だった。その調子で、20年余り、名刺を大量に刷っては、ことあるごとに、配って来た。

それを、やめようと思う。

名刺の整理をしているとき、米国の関係者の名刺の中から見つけた一枚。見るなり、胸が熱くなった。ヴァージニア州にある北京ダックの店のオーナー、リリーの名刺だ。見つめればたちまち、インド移住前の出来事が蘇った。これは、一生持ち続けておく名刺だ。

なぜ、この名刺がそんなに大切なのか。そんなに北京ダックが旨かったのか。確かにそれもある。が、もちろんそれだけではない。

思い出に、過去、メールマガジン(懐かしい!)で記していた記録を転載しておく。

とても長くなるが、しかし転載する。わたしの名刺も、願わくば、こんな風にいつまでも、持っていてもらえる人のもとに、届けたい。持ってもらえるような人でもありたいと、思う。ちなみにこの店( 北京飯店 Peking Gourmet Inn)、今でも健在のようだ。うれしい。また行きたいなあ。なお、文中の「A男」とは、アルヴィンドのことである。



●北京ダックと、リリーの祝福(2005年5月23日)

2泊3日の滞在を終え、昼頃、フィラデルフィアを出たわたしたちは、帰りにロングウッドガーデンに立ち寄った。2月に訪れたブランデーワイン・ヴァレーにある大庭園だ。初夏の庭園は、生き生きした緑に包まれていて、冬にはなかった華やかさに満ちあふれ、それはそれは気持ちがよかった。特に今はアジサイが盛りで、温室で見た、目を見張るほどに大きなピンク色のアジサイは圧巻だった。

アジサイや桜やツツジなど、日本からこの国に来た花はさまざまにあるけれど、どれもが日本で見るよりも、遥かに大きくのびのびと成長しているのには驚かされる。土地の養分が違うのだろうか。

※庭や温室の写真はホームページに掲載しているので、どうぞご覧ください。http://www.museny.com/2005/longwood01.htm

さて、午後を庭園でゆっくりと過ごした後、夕暮れのハイウェイを走る。「夕飯はどうする?」と尋ねると、「久しぶりに、北京ダック食べに行こう!」と夫。「それはいいね、そうしよう」とわたし。

ヴァージニア州にある北京ダック専門店「ペキン・グルメ・イン」。ひところは月に一度出かけていたお気に入りの店だったが、この1年半ほど、なぜか行く機会を逃していた。この店は『muse DC』の最初の号で取材をした、やはり思い入れのある店だ。以下はそのときの記事である。


『父の教えを受け継ぎ、兄弟4人で店を守り育てる』 

ペキン・グルメ・イン:リリー・ツィさん 
Peking Gourmet Inn: Lily Tsui

おいしいペキンダックをリーズナブルに味わえることで有名な中国料理店「ペキン・グルメ・イン」。週末ともなると、テーブルを待つ人々が入り口付近で列をなし、店内は活気に包まれる。

店の壁は、政治家をはじめとする著名人の写真で埋め尽くされている。著名人と一緒に写真におさまっている男性がオーナーだと疑わず取材を申し込んだ。ところが取材の当日、出迎えてくれたのは、リリーという女性だった。

「この店を創業したのは、5年前に他界した父のエディです。現在は兄たちと妹ニナとの4人で店を切り盛りしています。写真に写っているのは、著名人と撮影してもらうのが大好きな次男のジョージ、撮影しているのは長男のロバートです」

彼らの両親は中国の山東省出身。1950年代に一家は香港に渡り、両親はレストランビジネスを始めた。

「父は全く料理を作れない人でした。しかし料理を吟味する力、店を運営する能力は抜群に長けていました」

1950~60年代にかけて、エディの手がけた香港の店は成功を収めていたが、彼にはアメリカで一旗揚げたいという夢があった。1969年、彼は一家を率いて渡米、ヴァージニア州のアーリントンに店を開いた。

「両親は、毎日休みなく働いていました。彼らには休暇の概念さえなかったのです」

ひたすら働き続けてきた父も、60歳を過ぎてようやく引退する。ところが今度は、時間を持て余してしまう。

「ペキン・グルメ・インは、父が退屈に耐えられず始めた店なんです。1978年の開店当初、大学1年だった私を含め、兄弟全員が店の手伝いに駆り出されました」

当初は、現在の店舗の左端部分だけの小さな店だった。主に中国人客ばかりだったが、徐々に人気を集め、やがて店が手狭になる。84年には隣の自動車部品店、86年にはその隣の衣料品店だったスペースにダイニングを拡張、現在の規模となった。

エディは日ごろから、レストランビジネスに大切な心得を、子供たちに説き続けてきた。それは「常によいクオリティの料理とよいサービスを、ゲストに提供すること」。極めてシンプルに聞こえるが、それを実現・継続することは簡単ではない。

「開店当初、あれこれと試した結果、ニューヨーク州のロングアイランドにある農家で飼育されているダックを選びました。スーパーマーケットなどでは入手できない良質のものです。ダックと一緒に出すパンケーキもまた高品質の小麦粉を用い、手で捏ねています。そして自家農園で育てたネギに秘伝のタレ。いずれも他の店では味わえません」

現在、ダックは2日おきに、ロングアイランドから届けられている。1週間の消費量は平均600~700羽だという。

「ペキンダックの調理には丸2日を要します。最初に乾燥させ、焼き、テーブルに出す直前に揚げます。調味料は一切、加えません。だからこそ、調理の技術と素材のよさ、タレやネギなど付け合わせの味も問われるのです。

ちなみに本場北京では、ダックの脂身と皮を一緒にサーブしますが、アメリカでは脂肪を避ける方が多いので、サーブする際、削ぎ落としています」

この店には、ペキンダック以外の自慢料理に、風味・歯ごたえのいい「ニンニクの芽」を使った料理がある。このニンニクの芽は、有機化学の博士号を持つ長男のロバートが15年前に開発したもので、やはり自家農園で育てている。

このほか、自慢料理のLamb Chop Peking Styleはニュージーランドのラムを、Juon-Pao Soft Shell Crabはタイのソフトシェルクラブを、Juo-Yen Shrimpはメキシコのエビを使用するなど、良質の素材を世界各国から取り寄せている。

「父の教えをきちんと守っていれば、店は大丈夫だと信じています。シェフをはじめ、80名近い従業員は、よく働いてくれる人ばかり。長く勤めている人が大半です。店の規模は今がちょうどいいので、これ以上大きくするつもりはありません」

創業以来、毎日休まずに営業しているが、年に一度、サンクスギビングデーだけは休業する。

一家で米国に来た当初、父エディが言った「サンクスギビングデーは家族の日だ」という言葉に従って。

Peking Gourmet Inn
6029 Leesburg Pike, Falls Church, VA
703-671-8088


久しぶりに店のドアを開けたら、リリーが迎えてくれた。

「まあ、ミホ、久しぶり! 元気だった? 随分、顔を見せてくれなかったのね」

「ごめんなさい。この1年余り、色々なことがあってね。実は来月、ここを離れてカリフォルニアに引っ越すの。だからその前にぜひ、ここの北京ダックを食べて行こうと思って」

リリーはわたしたちを席に案内し、傍らに立ってしばらく話をする。

インドでのビジネスチャンスを求めて、新しいステップを踏み出すのだ、と語るA男の話に耳を傾け、それはすばらしいこと、インドも中国も、今は伸びている最中だから、と笑顔で励ましてくれる。

そしてウエイトレスに、

「彼らはわたしの友達だから」と言って、また仕事に戻っていった。

以前は二人で1羽などという大胆な食べ方をしていたけれど、今回は控えめに人並みに半羽。それに自家栽培のチンゲンサイとシイタケのソテーを注文。ウエイトレスがテーブルの傍らで、ペキンダックの皮や身を削ぎ切り、皿に並べてテーブルに供してくれる。温かなパンケーキに、秘伝のたれを塗り、長男が開発した風味のよいネギをたっぷり載せ、パリッと香ばしい皮を載せ、くるりと包んで食べる。おいしい!

満腹で幸せ、さてお会計を……というときに、ウエイトレスがやってきた。

「今夜はリリーのごちそうですから、お支払いは結構です」

顔を見合わせる我々。そんなわけにはいかない。思い返せば2年前、取材した直後、A男と二人で訪れたときにも、リリーはごちそうしてくれたのだ。「今回だけだから。次からはちゃんと払ってもらうから」と言って。

やがてリリーがやってきた。

「どうぞわたしたちに、支払わせてください」という我々に、彼女は言った。

「今日は、あなた方の新たな一歩に、祝福をしたいの。だから受け取って」と。

そしてA男に向かって、彼女は言った。

「人生に、同じ好機 (opportunity) は、二度訪れることはないと思うの。だから、今、リスクを負ってでも、がんばって挑戦して! そしてインドで一旗揚げたら、あなたの写真を送ってちょうだい。壁に貼らせてもらうわ」

わたしはもう、お腹だけじゃなくて、胸までいっぱいになってしまった。実のところは、「リスクを負う」ことが苦手なA男の心にも、その言葉は響いたようだった。

たった一度取材をさせてもらっただけで、あとは時々、食べに行くだけで、じっくりと話をしたわけでも、親しい友人だったわけでもないのに、こんな風に接してくれるなんて。

わたしたちは、せめてもとの思いで、多めのチップをテーブルに残し、席を立った。

もう、この店に来ることも、多分ないだろうけれど、今夜のことはいつまでも、忘れたくないと思った。(5/23/2005) 


実はこの当時、インド行きを決めたとはいえ、夫は自分の米国のキャリアに関して消化できていない部分が多く、深い葛藤の中にあった。わたしは新天地インドに対して興味津々だったから期待の方が大きかった。だが、夫の心中は穏やかではなく、このころからインドに渡るまでの半年余り、我々夫婦はもめごと、喧嘩が絶えず、二人の精神状態は、最悪だったと言える。

ともあれ、無駄に波乱を生み、それらを乗り越え、インドに暮らし始め、今だってまだまだ試行錯誤の過程ではあるものの、このころに比べたら、実に平和だ。そんな今だからこそなお、リリーの言葉が有り難く、心に蘇る。

アルヴィンドもインドでも、もうひと頑張り頑張って、リリーへ写真を送らなければ……。

なんだか取り留めなく書いてしまったが、要は「不易流行」である。

歳を重ねているのだから、歳を重ねたなりに思うところ綴りつつ、変わるべきこと、守るべきこと、丁寧に、確実に見極めつつ、エナジェティックに生きるべし。

そうそう。今年に入ってからは、このところ怠っていたヨガ&呼吸法(プラナヤマ)を再開した。ここしばらく、トレッドミルでのウォーキングのみだったが、それではいかんことを、なんとなく、実感している。ヨガは偉大である。諸々の情報を総合するに、ヨガは身体を健やかに維持するために必要な要素が凝縮されていると思う。そして、ヨガよりもむしろ大切な呼吸法。身体だけではない、心の平安のために大切で、シンプルながら、絶大な効果を発揮する呼吸法。アーユルヴェーダのドクターも、「まずはプラナヤマを」と勧める根源的な習慣だ。

元気な身体を保つための努力は、怠ってはならない。この歳になると、放置すれば放置するだけ、気持ちいいほど速やかに衰える。衰えさせるのは簡単だ。怠惰に放置しておけばいいだけだから。

だからこそ、心身の「柔軟性」だけでも、努力して守らねばならないと思うのだ。