インド百景。
インド百景。
坂田マルハン美穂のインド生活通信
●自分の過去を振り返り、自分が欲しかった言葉を、語る。
瞬く間に8月も下旬。インドのホリデーシーズンは益々、本格的な賑やかさを迎えるころとなってきた。自分の誕生日を含め、個人的にイヴェントごとも多いこの時期は、何かと気分が湧き立つものだ。
さて、先日に引き続き、昨日もまた、夏休みを利用して日本からインターンに訪れた若者たちに対して、セミナーを行った。これまでも何度か、若い世代の人々に語る機会はあったが、圧倒的に大人に対してが多かったこともあり、前回、今回と、質疑応答などを通して、わたし自身が彼らの考えていることを知ることができるのは、非常に意義深い。
前回に引き続き、今回も、前半はわたし自身の半生を、後半はインドの概要:入門編を語ったのだった。
わたしは昔から、比較的、記憶力がいい。もっとも、それは勉学的な事柄に対してではなく、幼少期のころからの記憶(思い出)を、そのときどきの心情も含めて、克明に思い出せる、という点においてだ。
妹が生まれる前の2、3歳のころのことも記憶している事柄は多い。初めてひらがなの書かれた積み木を買ってもらった日のことや、「よいこ」という子ども向けの雑誌を買ってもらったものの「よいこ」が読めず、母に何度か、「これ、なんて読むの?」と尋ねたことなども。
「さ」と「ち」を間違えて書いたりしつつ、文字を覚えていったプロセスもよく覚えている。小学校のクラスメイトの名前(もちろん全員ではないが、多くの)、彼らの顔や雰囲気ばかりか、文字の特徴までも、未だに覚えている。
この記憶力は、しかし、学問的な試験などに生かせるはずもなく、ほとんど役に立たない類いの個性であった。しかし、このごろは、自分より若い世代に話すときに、少なからず役に立つことに気づいた。
幼少時のことを覚えているくらいだから、中学、高校、ましてや大学時代のことなど、ついこの間のことのように思い出される。自分がいかに、阿呆だったかということも具体的に思い出されるからこそ、ときどき、「あのとき、なんであんなことをやってしまったのだろう!」と、未だに恥ずかしさのあまり叫び出したい気持ちになることも少なくない。
わたしは、その態度や話し方から、いかにも自信に満ちあふれ、運良く人生を乗り切っている人物に見えるようだ。しかし、当然ながら、それは第一印象に過ぎない。
小学生のころは、「人前で話す」ことが苦手で、手を挙げて発表するのが億劫だった。間違えることを極度に恐れていたせいでもある。小学校から中学校にかけては、友人とのトラブルが多く、「協調性がない」との烙印を押されることが多かった。
中学のころには、いい思い出よりも悪い思い出のほうが多かったせいか、高校に進学したときに、中学時代の卒業アルバムや自分の写真を、すべて破棄してしまった。だから、わたしの手元には、中学時代の写真がほとんどない。
昔から日記をつけ、書物や写真などの記録されたものを大切にしたいと考えるわたしが、そうまでして封印したかったのは、自分が自分が望む自分ではなかった、という中学時代を、直視できなかったからだろう。せめて大学時代までアルバムをとっておけば、懐かしく懐古できる心境にはなっていたはずだ。
大学に進んでからも、社会人になってからも、自分の思い通りにいかなかったことの方が、多かった。きっと世の誰もがそう感じでいることだとは思うが、勉学にせよ、交友関係にせよ、仕事にせよ、恋愛にせよ、派手に挫折をすることが少なくなかった。
今でこそ、少しばかりは平穏な大人の人生を歩いているが、それでも、「欠けているものを補いながら、これでいいのだ、と信じて生きている」ことには変わりない。もっとも、それこそが、生きるということであろうけれど。というわけで、話の内容はついつい、七転び八起き的な流れとなっているかもしれない。
●懐かしむためではない。道しるべを、つける手助けを。
自分の過去を回想するということは、なにも「懐かしむ」という感傷的なものには留まらない。過去を振り返ることで、現在に至る自分自身の分岐点や節目が見えて来る。
あたりまえだが、自分の考えや経験が、優れているとか、確かであるとかいうつもりはない。ただ、このような考え方で物事を捉えると、新たな視界が開けるし、物事を前向きに捉えることができる……といったことを、具体例を交えながら話すようにしている。
このことが、今の大学生にとって、どのように受け入れられるのか、正直なところ、前回のセミナーでは未知数だった。だが、ひとまずは、語りたいだけ、語った。その後、参加した学生の感想を、主宰者の方に転送していただいたのだが、それを目にして、わたしは本当に、深く感動したのだった。
みなそれぞれに、わたしが伝えたいと思った言葉を、しっかりと受け止めてくれていた。日本を離れて18年。彼らはわたしの知らない日本で育ってきた。いわゆる、「ゆとり」と呼ばれる世代だろうか。大人の勝手でそのような烙印を押されることすら、気の毒と思えるほどだ。もっともわたしたちの世代は「新人類」と呼ばれてきたバブル世代。その時代時代で、なにかしら、あるものである。
伝える有意義、学生へのセミナー。また新たな旅立ち。
24-Aug-2014
彼らは、凝り固まった頭の大人たちを、乗り越えられる柔軟さ、軽やかさがあるように思えた。そのような長所をぐんぐんと生かして、潜在力に満ちた若者たちが、ネガティヴな力に抑圧されるばかりではなく、試行錯誤しながらも、光に向かって成長して行けるような社会の基盤を、大人たちは常に整えるべきだとも改めて思った。
きれいごとばかり語っているが、理想を語らずして、未来は拓けない。きれいごとも、絵空事も、実現できれば現実だ。
午後3時30分から始まったセミナーは、途中でお茶休憩(おなじみロールケーキ付き♥)をはさみ、午後7時近くまで続いた。その後8時からの、現地駐在員の方々を交えての懇親会にも招かれたので参加した。
そんな次第で、午後はぶっ通して話した気がする。以前は話しすぎて「やれやれ」と自己嫌悪に陥ることも少なくなかったが、最早、居直って、少々疎ましがられても「伝える人」に徹しようとも思った。
もちろん、それは、「伝えたいと思う人に対してにだけ」である。特にこれから社会に出る若者たちに対して。社会人に話すのとは全く異なる、手応えを得られる若者向けのセミナーは、わたしにとっても新たな境地だなという気がしている。
このような機会を得られたことにも、感謝したい。
■がんばれ若者! (前回の学生向けセミナーの様子)←Click!
●すでにインドへインターンに来ている時点で、踏み出している。
前回の学生たちの反応がよかったこともあり、今回は、より容赦なく、語りたいことを語ることにした。反面教師になることも含めて、福岡、下関、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.、カリフォルニア、そしてインドにいたるまでの経緯、そのときどきのうまくいったこと、いかなかったこと、学んだことなどを。
もちろん、自分が痛い目に遭って初めて気づいたことが大半で、だからそのようなことを、若い人たちにあらかじめ伝えることに関しては、いいものだろうかと思う気持ちもないではなかった。半世紀近くを生きてきたわたしが、現在到達している心境についてを、これから社会に飛び出す人々に、どのようにシェアするべきなのだろうか。これは、簡単そうで、なかなかに難しいテーマである。
が、あくまでもこれは、坂田美穂(坂田マルハン美穂)というたった一人の人間のことでもある。結果的には、理屈をいろいろ考えるのではなく、思いに任せて「伝えたいこと」を伝えたのだった。
わたしの座右の銘でもある、夏目漱石の『三四郎』に出てくる「囚われちゃ駄目だ」の引用とその説明にはじまり……。と書き始めれば尽きない。
ともあれ、今回の学生たちも、前回同様、非常に知的で積極的。わたしが大学生のころに比べたら、もう何ステップも先を行ってる印象だった。留学経験のある人もいるなど、海外との距離が近い人が大半だ。
海外で暮らし働くにあたって、いかにあるべきか。
気がつけば、年々、語りたいことは厚みを増していて、昨日はまた、それが大放出した形となった。
歌い終えて、みな涙ぐみつつも、賑やかに写真撮影。ちなみにこの日は参加者が30名ほどだったので、カステラも2台焼いた。いつもより見た目がきれいに焼けたので、スライスもしっかり記念撮影。バザールでもカステラを販売するので、見た目のよさを意識した焼き加減に仕上げなければというものだ。
ともあれ。
縁がある人、また会いたいと思う人には、きっといつかどこかで会えることだろう。会えるようにしたいと思う。
●そしてまた、バンガロールを旅立つメンバーを見送る。
ミューズ・クリエイションを結成して2年余り。のべ90名のメンバーが在籍し、現在40名。即ち約50名の人々が、去って行った。もちろん、途中で退会された方もいるが、大半は「帰任に伴って」である。
ミューズ・クリエイションのメンバーとは、毎週金曜日のサロン・ド・ミューズと、ミューズ関連のイヴェントにおいて顔を合わせる以外、個人的に会う機会はほとんどない。
そんな中でも、創設時から共に活動をし、試行錯誤しながらの運営を、前向きな姿勢で気持ちよくサポートしてくれたメンバーの存在は、大切な心の支えである。そんなメンバーの一人であるE子さんが、このたび帰任されることとなった。
チーム歌のピアノ伴奏を引き受けてくれていた彼女を見送るべく、最後となった先週のサロン・ド・ミューズでは、お茶の時間にチーム歌のメンバーが歌を披露することとなった。イヴェント時には、毎回黒いTシャツとジーンズ(地味)が定番の我々。この日もそのファッションで統一して、思い出の曲である「ハナミズキ」と「見上げてごらん、夜の星を」を歌ったのだった。
歌っているうちにも、この2年余りの思い出が次々に脳裏をよぎり、思わず目頭が熱くなる。立ち去る人の新しい門出を祝い、笑顔で送りたいとは思うものの、本音は寂しいものである。