インド百景。

坂田マルハン美穂のインド生活通信

 
 

彼らは、凝り固まった頭の大人たちを、乗り越えられる柔軟さ、軽やかさがあるように思えた。そのような長所をぐんぐんと生かして、潜在力に満ちた若者たちが、ネガティヴな力に抑圧されるばかりではなく、試行錯誤しながらも、光に向かって成長して行けるような社会の基盤を、大人たちは常に整えるべきだとも改めて思った。

きれいごとばかり語っているが、理想を語らずして、未来は拓けない。きれいごとも、絵空事も、実現できれば現実だ。

午後3時30分から始まったセミナーは、途中でお茶休憩(おなじみロールケーキ付き♥)をはさみ、午後7時近くまで続いた。その後8時からの、現地駐在員の方々を交えての懇親会にも招かれたので参加した。

そんな次第で、午後はぶっ通して話した気がする。以前は話しすぎて「やれやれ」と自己嫌悪に陥ることも少なくなかったが、最早、居直って、少々疎ましがられても「伝える人」に徹しようとも思った。

もちろん、それは、「伝えたいと思う人に対してにだけ」である。特にこれから社会に出る若者たちに対して。社会人に話すのとは全く異なる、手応えを得られる若者向けのセミナーは、わたしにとっても新たな境地だなという気がしている。

このような機会を得られたことにも、感謝したい。

■がんばれ若者! (前回の学生向けセミナーの様子)←Click!

●すでにインドへインターンに来ている時点で、踏み出している。

前回の学生たちの反応がよかったこともあり、今回は、より容赦なく、語りたいことを語ることにした。反面教師になることも含めて、福岡、下関、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.、カリフォルニア、そしてインドにいたるまでの経緯、そのときどきのうまくいったこと、いかなかったこと、学んだことなどを。

もちろん、自分が痛い目に遭って初めて気づいたことが大半で、だからそのようなことを、若い人たちにあらかじめ伝えることに関しては、いいものだろうかと思う気持ちもないではなかった。半世紀近くを生きてきたわたしが、現在到達している心境についてを、これから社会に飛び出す人々に、どのようにシェアするべきなのだろうか。これは、簡単そうで、なかなかに難しいテーマである。

が、あくまでもこれは、坂田美穂(坂田マルハン美穂)というたった一人の人間のことでもある。結果的には、理屈をいろいろ考えるのではなく、思いに任せて「伝えたいこと」を伝えたのだった。

わたしの座右の銘でもある、夏目漱石の『三四郎』に出てくる「囚われちゃ駄目だ」の引用とその説明にはじまり……。と書き始めれば尽きない。

ともあれ、今回の学生たちも、前回同様、非常に知的で積極的。わたしが大学生のころに比べたら、もう何ステップも先を行ってる印象だった。留学経験のある人もいるなど、海外との距離が近い人が大半だ。

海外で暮らし働くにあたって、いかにあるべきか。

気がつけば、年々、語りたいことは厚みを増していて、昨日はまた、それが大放出した形となった。

歌い終えて、みな涙ぐみつつも、賑やかに写真撮影。ちなみにこの日は参加者が30名ほどだったので、カステラも2台焼いた。いつもより見た目がきれいに焼けたので、スライスもしっかり記念撮影。バザールでもカステラを販売するので、見た目のよさを意識した焼き加減に仕上げなければというものだ。

ともあれ。

縁がある人、また会いたいと思う人には、きっといつかどこかで会えることだろう。会えるようにしたいと思う。

●そしてまた、バンガロールを旅立つメンバーを見送る。

ミューズ・クリエイションを結成して2年余り。のべ90名のメンバーが在籍し、現在40名。即ち約50名の人々が、去って行った。もちろん、途中で退会された方もいるが、大半は「帰任に伴って」である。

ミューズ・クリエイションのメンバーとは、毎週金曜日のサロン・ド・ミューズと、ミューズ関連のイヴェントにおいて顔を合わせる以外、個人的に会う機会はほとんどない。

そんな中でも、創設時から共に活動をし、試行錯誤しながらの運営を、前向きな姿勢で気持ちよくサポートしてくれたメンバーの存在は、大切な心の支えである。そんなメンバーの一人であるE子さんが、このたび帰任されることとなった。

チーム歌のピアノ伴奏を引き受けてくれていた彼女を見送るべく、最後となった先週のサロン・ド・ミューズでは、お茶の時間にチーム歌のメンバーが歌を披露することとなった。イヴェント時には、毎回黒いTシャツとジーンズ(地味)が定番の我々。この日もそのファッションで統一して、思い出の曲である「ハナミズキ」と「見上げてごらん、夜の星を」を歌ったのだった。

歌っているうちにも、この2年余りの思い出が次々に脳裏をよぎり、思わず目頭が熱くなる。立ち去る人の新しい門出を祝い、笑顔で送りたいとは思うものの、本音は寂しいものである。