BANGALORE GUIDEBOOK バンガロール・ガイドブック
●かつてはインドで一番住みやすいガーデンシティだった
バンガロール(ベンガルール)は、インド南部カルナータカ州の州都。デカン高原の南部のマイソール高原に位置し、標高920m。急速な都市化に伴い人口は急増中。2001年の国勢調査時には、500万人を切っていた人口が、現在1000万人を超過。十数年の間に人口が倍増した。隣接するケララ州やタミル・ナドゥ州などからの出稼ぎ労働者も多く、市内のスラム居住者は人口の3分の1に達するともいわれている。
現在では「ガベージシティ(ゴミの街)」の汚名を持つバンガロール。かつてはガーデンシティ、エアコンシティと呼ばれていたが、そもそもは緑豊かな土地ではなく、乾いた高原地帯だった。バンガロールの創始者であるケンペ・ゴウダ1世は、都市形成の際、土地を潤すため、多くの人工湖を作った。この湖の大半は、インド独立以降、蚊が多発するなどの理由で埋め立てられたが、その際、湖にゴミが投棄されたという。
ちなみに、国際空港の名称である「ケンペゴウダ (Kempegouda)」は、このケンペ・ゴウダ1世に因んでいる。
バンガロールの緑化に貢献したのは、マイソール王国の藩主ティプー・スルタンだ。バンガロールにある樹木の多くは、彼が1700年代に海外から輸入した外来種である。ラルバーグ植物園では、当時からの樹木を見ることができる。
●英国統治時代の面影が今なお残る街並み
バンガロールは英国植民地時代にさまざまな都市基盤が構築されており、英国の影響を色濃く受けた都市の一つ。英国がバンガロールを南インドの植民地支配の拠点とした理由は、当時マイソール藩を統治していたティプー・スルタンを攻撃するのによい立地だったことに加え、気候のよさや、軍事基地としての利便性が挙げられる。1790年当時、バンガロールはインドで最もインフラストラクチャーが整っている都市だったという。
英国人のための新市街、バンガロール・カントンメント(駐屯地)が設置されると、タミル人、テルグ人はじめ、北インドの労働者がカントンメントやその都市基盤の建設のために流入。現在も地方出身者が多いのは当時の名残でもある。
2005年12月11日、カルナータカ州政府は都市名をカンナダ語での名称に合わせた「ベンガルール(Bengalūru)」に改名する方針を発表。新名称は2006年11月1日に発効したが、インド内務省からの許可が遅れ、2014年11月1日、ベンガルールへの改名が正式に認可された。しかし未だ、ベンガルールの呼び名は一般に浸透していない。
ベンガルールの由来は、12世紀に遡る。南インドのホイサラ朝の王、ヴィーラ・バララ2世が、狩の最中に森で迷い飢えに苛まれた。その際、一人の貧しい女性が彼を救い、豆を煮て食べさせた。彼は感謝の意を表し、この地をカンナダ語でBenda-kaal-uru(ベンダカルール=煮豆の街)と呼んだという。
知れば楽しい
バンガロールは、こんな都市
たとえ数年間でも、自分が住む都市、町のことを知っておくに越したことはありません。知れば愛着も増し、町の光景を見るときの心情も変わるでしょう。
●18世紀、ティプー・スルタン統治の時代
バンガロールの古くからのエリア名や道路名には、最後に “pet”とつくものが多い。チックペット (Chickpet)、アッキペット (Akkipet)、アラレペット (Aralepet)、アッパーペット (Upparpet) など。 チックペットは昔ながらの商店が今なお軒を連ね、絹製品や宝飾品の店舗が目立つ。また繁華街には電気製品や部品の小売店が並ぶ。KG Road沿いも時代を感じさせる商店が軒を連ね、地元カンナダの映画館が多い。
●英国統治時代に建設されたエリア
【カントンメント】
バンガロールは英国統治時代の影響を色濃く残している街。市街の整備は英国によってなされたとも言える。植民地時代の英国人居住区は「カントンメント (Cantonment)」と呼ばれており、そのエリアに入るにはトールゲート(検問)があったと言われる。アルソール湖 (Upsoor Lake)周辺から、MG Road, Brigade Road, Church Streetあたりを中心に、コックスタウン (Cox Town)、フレーザータウン (Fraser Town)、リチャードタウン (Richard Town)、クックタウン (Cooke Town)、ベンソンタウン (Benson Town) など、英国名のついたエリアはほとんどが当時からの高級住宅地。
現在は、新しい建築物が次々に立っているが、未だに当時の面影を残す平屋建て一軒家(バンガロー)を目にすることができるのも、このエリアだ。英国統治時代に設立された学校や教会、慈善団体などが多いのも特徴。レジデンシー・ロード (Residency Road) に面した社交&スポーツクラブ、バンガロールクラブは、英国人社会の社交場だった。
【英国人に仕える人々の集落】
カントンメントのそばには、ムスリムやタミル人のコミュニティがモザイクのように点在していた。ムスリムは英国人に欠かせない「馬」、特に良質のアラビアンホースを取り扱う商人が多かったのに加え、牛肉を販売していたことが理由。またタミル人女性には腕のいいマッサージ師が多かったことから、英国人婦人らにマッサージを施すべく、界隈に暮らしていたとのこと。
【ビール好きな英国人とUBシティ】
英国統治時代、ビールが好きな英国人は、本国から船で送られて来るビールを待つのではなく、バンガロールで作るべくビールの醸造所を建設した。キングフィッシャー・ビールでおなじみのユナイテット・ブリュワリーは、駐留英国軍に提供するビールを製造するため、1857年に創業。 ユナイテット・ブリュワリーの拠点は現在、「UBシティ」と呼ばれる商業コンプレックスに生まれ変わっており、ビジネス・ビルディングや、高級ショッピングモールなどを擁している。現CEOヴィジャイ・マリヤの父親ヴィッタル・マリヤは、1947年に、22歳という若さで、インド人で初めての、ユナイテット・ブリュワリーのディレクターとなった人物だ。
●異教徒が渾然一体と暮らすエリア
MG Roadの北に広がるシワジナガール (Shivajinagar) は、カントンメントとは異なる庶民派のムードが漂うエリア。コマーシャル・ストリート (Commercial Street) から、1927年に英国人によって創設されたラッセルマーケットあたりにかけての一帯は、カントンメントで働いていた使用人ほか、英国人兵士らも住んでいた。
また、ヒンドゥ教徒にはできない、牛肉屋や皮なめし業といった職種をイスラム教徒やキリスト教徒が引き受けていたこともあり、このエリアには、キリスト教会、ヒンドゥ教寺院、イスラム教モスクが渾然一体と同居している。現在もこの界隈はさまざまな商店がぎっしりと路地に並んでおり、更に奥の路地へと入り込んだところに中低所得層以下の住宅がひしめきあっている。
●昔ながらの「南インドらしさ」が残るエリア
市街北西部に広がるマレシュワラム (Malleswaram) や南西部に広がるバサヴァナグディ (Basavanagudi) は、20世紀初頭にバンガロールとなった「近郊の町」だった。有名なブルテンプル(ヒンドゥ寺院)があるマレシュワラムの中心街には、今でも衣料品店、日用品店、ローカルマーケットなどが軒を連ね、非常に賑やか。中心街をはずれると、昔ながらの住宅街が並ぶ。富裕層から低所得層まで幅広い階層の人々が暮らす。
かつては風情あるバンガローが数多く並ぶ高級住宅街があった場所には、新しい高層住宅ビルが次々に建設されている。2010年にはバンガロール最大のショッピングモール、MANTRI SQUAREも誕生、街の表情は変わりつつある。しかし、 髪に花飾りをつけ、サリー姿で町を歩く女性が多い様子は、「南インドらしさ」を感じさせる。
南西部に広がるバサヴァナグディもまた、昔ながらの商店や名物のドサを出す飲食店などが点在するローカルエリア。ガンディ・バザール (Gandi Bazaar) やKR Road沿いは、シルクなどのテキスタイル店やテイラーなどがぎっしりと並び、卸売り店もあるなど、常に喧噪の界隈だ。
更に南下した場所に位置するジャヤナガール (Jayanagar) や JPナガール (JP Nagar) も、昔ながらの郊外の住宅地だったが、最近では次々に新しい物件が誕生、オフィスビルディングなども建てられていることから、従来のローカルビジネスとは異なる業種のオフィスも入り、ショッピングモールやファストフード店なども見られるようになった。空き地だった場所にも、雨後の筍のように次々とアパートメントビルディングが建てられ、街の様相は急変している。
●かつての「村」が、モダンな商業地区、住宅地に変化
数十年前は、ぽつぽつと住居が点在するばかりの村だったインディラナガール (Indiranagar)。ここ十数年の間に次々と新しい建築物が建てられ、目抜通りの100 feet Road と、交差するCMH Road や 12th Main Road 沿いを軸に、新しいファッションブティックやスーパーマーケット、レストラン、ナイトクラブ、ブリュワリー、家電店、カフェ、IT関連のオフィスビルなどが立ち並ぶ。大通りから外れると、閑静な高級住宅地だが、ここ数年のうちにも劇的に交通量が増え、騒がしいエリアと化しつつある。
インディラナガールと同様、著しい変化を遂げているのが市街南部のコラマンガラ (Koramangala)。インディラナガールよりも広範囲なエリアで、さまざまな所得層の人々がモザイクのようなレイアウトで暮らしている。バンガロールでは最も早い時期にショッピングモールが立てられ、高級アパートメントも次々と誕生。現在はバンガロールにおける「スタートアップ」の中心地として、特に飲食店の開業が目立つ。コラマンガラはまた、市街南部のエレクトロニクス・シティ (Electronics City) に勤務する人の居住地ともなっている。
●変化し続ける近郊都市、ホワイトフィールド
バンガロールで一番顕著に変化したエリアといえば、東部郊外のホワイトフィールド (Whitefield)だ。十数年前までは、まさに「村」であり、買い物をするにも不便で、都度、市内中心部へと足を運ばねばならなかったが、現在は ホワイトフィールドだけで生活が完結できるようになった。
1994年インターナショナル・テクノロジー・パーク (ITPL) が誕生したことにより、外資系企業が徐々に進出。国内外の居住者が徐々に増加していった。特にパームメドウやプレステージ・オゾンをはじめとする「ゲーテッドコミュニティ」は、外国人居住者やNRI(Non Resident Indian) が多く暮らす。
昨今では、更に高級感漂うゲーテッドコミュニティが複数誕生、一歩ゲートをくぐれば、そこはインドにしてインドにあらず。カリフォルニアの住宅街を思わせる整然とした家並みが広がっている。大型のショッピングモールや高級ホテルが次々に建設され、町の随所にお洒落なレストランやブティックなども誕生。バンガロール中心部とは異なる表情の衛星都市的な存在感を放っている。
●1991年の市場開放以降、IT産業が急伸
1947年、印パ分離独立後、バンガロールは国営の重工業、航空産業、宇宙産業、防衛産業の工場群が置かれた。1991年のインド経済自由化を契機に、マイクロソフト、オラクルなど欧米のIT企業が続々と進出。英語圏先進国のコールセンターが設置されるなど、BPOの拠点としても注目を集めた。
経済自由化後の、バンガロールにおけるハイテク産業の確立と成功は、情報通信産業成長の原動力になった。バンガロールにはムンバイやデリーのような一大財閥は少ないものの、インドを代表するIT企業のインフォシス (Infosys) やウィプロ (Wipro) は、IT都市としてのバンガロールを語る際の代名詞となっている。また、女性CEOキラン・マズムダル・ショウによって、1978年に創業された、インドのバイオテクノロジー大手バイオコン (Biocon) も、バンガロールを拠点とする大企業だ。
バンガロールが「インドのシリコンヴァレー」と形容されるに至った契機の一つに、2000年の「Y2K問題」がある。プログラムの見直しなどで、インフォシスなどIT企業の受注が激増、業績が急伸した。2000年は、米国シリコンヴァレーのITバブルが崩壊した年でもあり、当時、就労ヴィザで働くインド人エンジニアたちが大量に解雇された。帰国を余儀なくされた彼らは、インドのIT企業に活路を見出した。
2003年、ピューリツァー賞受賞のジャーナリスト、トーマス・フリードマンがバンガロールに駐在。ニューヨークタイムズ紙にコラムを連載したことで、インドIT企業の実態が米国内でも知れ渡ることになる。2005年発行の同氏著書『The World Is Flat (フラット化する世界)』によって、バンガロールの名は更に、世界に知られるところとなった。
バンガロールはコスモポリタンな文化が浸透していることも特徴。たとえば古くから「パブシティ」と呼ばれ、飲酒に寛大。また、牛肉が食せるなど、インドの他都市に比べて制約が少ないのも特徴。外国人にとって住みやすい環境だといえるだろう。
●急速な都市化に伴うさまざまな社会問題
「インドのシリコン・ヴァレー」と形容されるバンガロールだが、急速な都市化に伴う社会問題は尽きない。十数年前までは「ガーデンシティ」「エアコンシティ」と呼ばれる緑豊かな高原性気候の避暑地であったが、現在は市街随所で建築工事、道路工事が行われており、大量の樹木が伐採され続けている。年々、平均気温が上昇している。
都市計画なきまま、高層ビルディングが次々に建設されるなど、景観も急変。 電気、水道、道路など各種インフラストラクチャーの不備、排ガスなどの公害、ごみ処理不全、激増する自動車、追いつかないメトロ工事……。枚挙にいとまがないほどのさまざまな社会問題を抱えているのが現状だ。
この街に暮らすわたしたちも、これらの社会問題に加担している一人だともいえる。ゴミ処理問題など、手近なところから、自分たちにできる解決策を見いだしたいものだ。
●バンガロールのゴミ問題と向き合う。(←CLICK!)
英国統治時代のコマーシャルストリート
英国統治時代に誕生したバンガロール最古の高級ホテル、
ウエストエンド。のちにタージ・ウエストエンドとなった。
道幅も狭く、閑静なMGロード
CONTENTS
●かつてはインドで一番住みやすいガーデンシティだった
●英国統治時代の面影が今なお残る街並み
●18世紀、ティプー・スルタン統治の時代
●英国統治時代に建設されたエリア
・カントンメント(駐屯地)
・英国人に使える人々の集落
・ビール好きな英国人とUBシティ
●異教徒が渾然一体と暮らすエリア
●昔ながらの「南インドらしさ」が残るエリア
●かつての「村」が、モダンな商業地区、住宅地に変化
●変化し続ける近郊都市、ホワイトフィールド
●1991年の市場開放以降、IT産業が急伸
●急速な都市化に伴うさまざまな社会問題