BANGALORE GUIDEBOOK バンガロール・ガイドブック

●一つの国でありながら、欧州連合よりも色濃い多様性


日本の約9倍の国土に、約10倍の人々が住む多様性の国インド。 宗教、地方、階級、コミュニティなどにより、ライフスタイルは千差万別で、無数の価値観が渾然一体と存在している。一つの国でありながら、その濃度は欧州連合 (EU) に勝るとも劣らない。


♦︎欧州連合    代表言語:24、国の数:28、面積:約438万㎢、人口:約5億人   

♦インド       代表言語:23、州の数:29、面積:約328万㎢、人口:約13億人


欧州連合全体よりやや狭い国土に、倍以上の人間が暮らしているというだけで、その濃さは想像できる。


以下、青い文字の文章は、ラマチャンドラ・グハ著『インド現代史(上巻)』(明石書店)のプロローグから一部を抜粋し、整理するものである。インドの多様性を的確に示すものとして、わたし自身、インドのライフスタイルセミナーで引用している箇所でもある。


インドが英国統治下にあった時代、イギリス統治の行政史に関する多くの著書を残した人物に、サー・ジョン・ストレイチーという英国人がいる。彼曰く、「インド」なるものは「さまざまな多くの国々を含む広大な地域にわれわれが与えた名称」であり、「便宜的なラベルにすぎない」と言う。ストレイチーによればまた、インドのさまざまな「国々」の差異に比べれば、ヨーロッパ諸国間の差異などははるかに小さなものであり、「ベンガルとパンジャーブの違いに比べれば、スコットランドとスペインははるかに似通っている」という。


「一つのインドというものは、いまもかつても存在しない。インドのいかなる国も、ヨーロッパ的な観念におけるような物理的、政治的、社会的そして宗教的な統一体ではない。インドについて、われわれが、最初に、そしてもっとも知らねばならないのは、まさにこの事実なのだ」


ストレイチーは、こうも言っている。「過去においてインドという国や国民は存在しなかったし、将来もありえないだろう。」


しかし、果たして、インドは1947年、ヒンドゥー(インド)とイスラム(パキスタン)という二つの大きな宗教が分離する悲劇を伴いつつも、独立を果たした。以来、「インド共和国」として存在し続けている。その間、三度の印パ戦争、加えて他宗教の独立運動やテロなど、国家的な危機に晒されつつも、今日がある。インドの歴史や背景を知れば知るほど、それがいかに奇跡的なことであるかを、感じ入らずにはいられない。


インド人同士ですら、異文化を受け入れ合って共存している。いや、異文化の広がりとその存在を、認識さえしていない人たちも多数であろう。我々異邦人は、そんな広大無辺の国の氷山の一角に立ち、関わっているに過ぎない。


一方の日本は、極東の島国であり、古くから閉鎖的かつ封建的な文化を貫ける環境にある。異国と国境を接することなく、外界からの流入も他国に比すれば極めて少ない。我々の祖国もまた、地球規模で眺めれば極めて特殊な国であるということを、認識しておいたほうがいいだろう。



●新旧の価値観が混在。インド人でさえ戸惑う趨勢


英国統治を経て1947年に独立して以来、インドでは社会主義的な経済政策が取られていた。製造・生産の大半を公営企業が担い、主な価格が統制される「混合経済」だ。


1970~80年代のインドで子供時代を過ごし、1990年に米国へ留学したわたしの夫は、「僕が子どものころは、テレビ番組と言えば白黒の国営放送、DD(ドゥールダルシャン)だけ。自動車を買うのも、電話を引くもの、数カ月、場合によっては数年待ちだった」というのが口癖だ。そんな彼は、2005年にインドへ移住した際、「前時代的な祖国」へ戻ることに対して強い抵抗を示した。しかしインドは、彼が離れていた15年間に、大きな変化を遂げていた。


1991年、ペレストロイカの余波を受け、インドは、その保有外貨が底をつき、債務不履行寸前の経済危機に陥る。これを機に経済改革が開始され、経済の自由化が図られた。以降、徐々に外国資本がインドに流入。90年代にはテレビで米国のソープオペラ(ドラマ)が放映開始、ファストフード店がオープンしたり、韓国の家電大手サムスンが参入するなど、人々のライフスタイルに変化が見られはじめた。バンガロールに関していえば、1990年代後半から欧米のIT関連企業が続々と進出。コールセンターが設置され、BPOの拠点として注目されはじめ、「インドのシリコンヴァレー」と呼ばれるようになった。またチェンナイは、1995年に米フォード、翌96年に韓国ヒュンダイ(現代)が進出したのを皮切りに世界各国の自動車メーカーが参入、「インドのデトロイト」と呼ばれるに至った。


インドにおける昨今の消費市場の拡大、成長ぶりはすさまじい。インターネットやスマートフォンの普及により、欧米のライフスタイル情報は極めて身近なものとなった。国民の多くが英語を操り、異文化に対する柔軟性があることも、ボーダーレス化に拍車をかけている。各地で新しいショッピングモールやスーパーマーケットが次々に誕生、Eコマースの台頭は消費を促進、衣食住は急速に変容している最中だ。以前は必要なものを探しに街を東奔西走していたが、今ではあらゆるものが、ネットを通して購入できるようになった。


この趨勢を反映し、世代別の意識格差も顕著になっている。一般に、独立以前に生まれた『祖父母世代』は、散財を好まず家族や親戚との交流を重んじる大家族主義(ジョイントファミリー)が一般的だ。1991年の市場開放を挟んで前後の時代を知る『両親世代』は、伝統的で封建的な価値観を尊重する一方、新しい文化や消費に関心を持つ。そして市場開放以降に育った『子供世代』。彼らの多くは、先進国と同様、消費に意欲的だ。特に20代の若者が流行のトレンドを牽引し始めている。かつては人々の服装などで、経済的な階級を察することができたが、今では貧困層の子供たちもファッショナブルな洋装だ。将来の希望に満ちた子供らが多い一方、教育熱は年々過熱、子供の鬱や自殺なども取り沙汰されている。



●「インド人は……」を、口癖にするなかれ 


米国での十年間の生活を経て、2005年の終わり、インド人の夫とともにバンガロールに移り住んだわたしにとって、一番のカルチャーショックはほかでもない、日本人在住者のインド人に対する態度だった。


「インド人は……」と、インド人を十把一絡げで否定、見下すのが習慣になっている人が多く、聞くに堪えない暴言を吐く人も少なくなかった。伴侶がインド人、家族や親戚もインド人、親しい友人らにも、多くのインド人がいるわたしにとっては、米国在住時には経験しなかった屈辱的な思いも味わった。


一方で、そんな人々の気持ちがわからないわけでもない。わたしとて、この国に暮らせば、メイドやドライヴァーを雇うことひとつをとっても、あまりの文化や習慣の違いに、思わず声を荒げてしまうこともある。いや、それ以前に、インド人である夫と、そもそも分かり合えていない。夫婦とはいえ、自分との感覚の違いをお互いに相容れられず、諦めきれず、出会って20年以上も経っていながら、未だに不毛で低次元なバトルを展開している。


そんな自分のことは、一旦、棚に上げて、続ける。


インドには、グローバルに活躍する優秀な人々が多い一方、高等教育を受けていない人も多く、日本人が思うところの道徳心にそぐわない人もいる。仕事よりプライヴェートを優先する傾向も非常に強い。それが間違っているか、正しいかを、我々は判断する立場にない。


意思疎通が図りにくい上に、物事が思うように進まず、苛立つことも多々ある日常だが、自分が「インドに、なにをしに来ているのか」という大前提を、念頭においておくべきだろう。ビジネスのために、お金を稼がせてもらうために、来ているという原点を忘れてはならないと、わたしは思う。


ストレスが蓄積されると、自分の英語力やコミュニケーション能力の欠如に起因するトラブルにも関わらず、原因はすべてインド人にあるかのように、相手を責めがちになる。同じようなことを、日本に住む外国人からされたならば、どう感じるだろう。「そんなに文句があるなら、帰れば?」と思わないか。異邦人にも関わらず、異国の地で、異国の有り様を「評価する側」に立っている自分は何様なのか。その点を謙虚に意識していなければ、自分自身をも見失う。



●日本の価値観や常識に囚われすぎない 


「先進国=人間も優秀」、「利便性が高い=正しい」という物の見方は、近視眼的だとわたしは思う。「日本の最先端のテクノロジーをインドへ」という意気込みをそのまま持ち込んでも、そのテクノロジーが必要とされているとは限らない。


たとえばスマートフォン。この10年余りで、低所得層も含め爆発的に普及した。一方、インドでは、洗濯機の普及率は未だ低い。電力や水道のインフラストラクチャーの不全も理由だ。毎日、家庭の蛇口から水が出る家庭のほうが、そうでない家庭よりも圧倒的に少ない。インドにおいては、他の先進国がたどった近代化のプロセスとは、順序も需要も異なる点が多い。膨大な人口を抱えるインドにおいてはまた、旧来のサステナブルな生活様式の継続が望ましい点も多い。インド人一人が日本人一人と同量の電力を消費したら、地球の環境は著しく破壊される。このような事例は枚挙にいとまがない。


ビジネスにせよ、個人的な価値観にせよ、日本人にとって「善きこと」は、この国ではそうとも限らないということを、心得ておくべきである。



●パーティで、ネットワークを広げる。その際の注意点


インドの人々を知るには、なるたけ多くの人々と、出会い、話をすることが大切だろう。インド人の多くは社交を大切にする。記念日や誕生日、宗教儀式などの際には、家族や親戚、友人、仕事関係者を自宅に招き、パーティを催す。招待客が多い際は、レストランやホテルのバンケットルーム、社交クラブなどが会場となる。欧米と同様、インドでは夫婦同伴で招待されるのが一般的だ。ぜひご夫婦で一緒に出席することをお勧めする。インドの人々はフレンドリーなうえ、歴史的背景から親日的でもある。意気投合したら親密な関係に発展することも少なくない。


仕事の営業のためであれ、自分の世界を広げるためであれ、ネットワークの構築は有意義だ。インドでは日本同様、あるいはそれ以上に、目上の人に対して敬意を払う習慣があることを忘れずに。一昔前までは、自分の両親を含め、目上の人の前では、喫煙や飲酒でさえ控えるのがマナーであった。


なお、家庭でのパーティにせよ、結婚式にせよ、招待された場合には、早めに到着しないこと。もっとも自宅での集いの場合は「土曜の夜、いらしてください」という具合に、時間を指定されないことが多い。ゲストはたいてい午後8時すぎから集まり始め、ドリンクを片手にスナックをつまみながら歓談するカクテルタイムが延々と続く。ナッツ類や揚げ物中心のスナックが出されるが、食べ過ぎると胃がもたれるので注意。夕食が供されるのは、午後10時を過ぎるのが普通なので、腹ごしらえをして出かけるのが賢明だろう。


自宅でパーティを主催するのもいい。昨今は日本料理をはじめとするアジア料理を好む人たちが増えているから、家庭料理でもてなすのもいいだろう。仕事関係者を自宅に招待すると喜ばれ、信頼関係も強くなる。ただし、その際は、ヴェジタリアン向けの料理やノンアルコール飲料の準備を忘れずに。蛇足だが、日本の味を「退屈」に感じるインド人のために、「七味唐辛子」や「柚子胡椒」を多めに用意しておけば万全だ。


ちなみに、インドに暮らして久しいわたしだが、日印のパーティのスタイルの違いには、未だに困惑する。参考までに、顕著な例を挙げてみたい。あるとき、インド人の友人が開業直後のホテルのバンケットルームで誕生日パーティを開いた。わが夫は出張中につき、わたしは一人だったことから、気持ちはすっかり「日本人モード」になっており、自動操縦状態で、招待状にあった8時ちょうどに、ホテルに到着した。すると、ゲストはおろか、主賓ファミリーさえもまだ到着しておらず、バンケットルームは「準備中」。見かねたホテルマネージャーが、客室やスパなどホテルの施設を案内してくれたのだった。一方、先日参加したバンガロール九州沖縄県人会。7時開始からわずか10分遅れで到着したのだが、早くも乾杯がすんでいるばかりか、テーブルには食事まで運ばれ、7時10分にしてすでに「宴たけなわ」の状態だった。驚愕した。



●ご近所さんとのお付き合いも大切に


インドでは、ご近所付き合いも大切な社交だ。自治会が企画する祝祭やイヴェントには、積極的に参加したい。インドの文化行事をつぶさに体験する好機でもある。また、停電、漏電、漏水などのトラブルが多発するインドでは、いざというときに、助けになってくれるのもご近所さんだ。親しくなったら、最寄りの医院や店舗など、ローカル情報を教えてもらうのもいいだろう。顔を合わせたら笑顔で挨拶をするなど、日ごろからの交流をお勧めする。



●トレンドと封建が共存する時代。女性は服装に配慮を


わたしが初めてインドを訪れたのは、結婚式を挙げるため、当時住んでいたニューヨークから、夫の故郷ニューデリーへ行った2001年のこと。持参する服選びに悩んでいたところ「普段、着ているような服で大丈夫だよ」と夫。その言葉を信じたわたしが愚かだった。到着初日から後悔した。地元の商店街を歩けば、多くの女性は民族衣装であるサルワールカミーズやサリーを着用している。Tシャツやクルタなどのトップにジーンズを履いた女性も見かけたが、足を出している人はいなかった。膝丈、袖なしのワンピースを着ていたわたしは、人々に凝視され、非常に居心地の悪い思いをしたものだ。


2005年に移住した当初も、膝下を出している女性は少なかった。インドでは古くから、女性が足を出すことはタブー視されていたのだ。たとえ贅肉たっぷりの腹部を露出するのはノープロブレムだとしても。ところが昨今では、ミニスカートやショートパンツ、タンクトップなど露出度の高い衣類を着こなす女性たちが急増、都市部では欧米のトレンドをそのままに取り入れた着こなしをする人も一般的になった。


翻って我々外国人。例えば高級ホテルやレストラン、パーティ会場など、車での送迎があり、外を出歩かない場合においては、多少露出度の高い服装も可能だろう。しかし、町中を歩くときには、丈の短いスカートや胸元が大きく開いたトップは避けたほうがいい。北インドのデリーなどに比べると、南インドの都市は比較的安全だが、それでも露出度の高い服装の女性は無防備な印象を与え、犯罪の対象となりやすい。特に日本人女性は若く見られる(子供っぽく見られる)ことを自覚し、外出先では毅然とした態度を取ることも大切だ。



●夜遊び、観光……羽目を外しすぎないように


インドで最もコスモポリタンで自由な気風のあるバンガロール。従来から「パブシティ」と呼ばれてはいたものの、ここ十数年の変化は著しい。クラブやバー、レストランはもちろんのこと、ブリュワリーがあちこちでオープン。瞬く間にナイトライフが豊かになった。


「目上の人」を敬う姿勢が色濃いインドにあっては、従来、両親や祖父母など身内を含む年長者の前での喫煙や飲酒は、控えられていた。特に女が飲酒する際には、周囲に気づかれないよう、ストールで隠して飲むなどされていたほどだ。


最近でこそ、若い女性の喫煙する姿や、ランチタイムにワイングラスを傾ける姿を目にするようになったが、これは都市部のごく一部の傾向だと認識しておいたほうがいいだろう。広いインド。まだまだ封建的な慣習が根強く残っており、夜遊びをする女性たちを歓迎しない人も大勢いる。


たとえば、クラブなどで出会った素性のはっきりしないローカルの人々と親しくなりすぎたり、日本と同じ感覚で記憶を失うほど泥酔したりという行為には、男女を問わず、危険が伴うことを忘れないで欲しい。日本の宴会のノリを持ち込んで、上半身裸で大騒ぎするなどは、もってのほかだ。


日本のように治安のいい国は、世界でも稀である。インドに限らず、海外で過ごす際には、適度な緊張感を持って行動することをお勧めする。どんなに住み慣れていても、異国は異国。異邦人である我々は、ローカルの人々以上に、犯罪の対象になる可能性が高いことを自覚しておきたい。



●少しずつ歩み寄れば、きっと風向きは変わる


インドに限らず、異国での暮らしは、生まれ育った母国とは勝手が異なり、大小さまざまな不都合がある。物事がうまくいかず、不満が募るのは当然のことかもしれない。しかし、住むと決まった以上は、好きだ嫌いだといった個人的な嗜好に囚われるのではなく、いかにこの国と向き合い、収穫を得るかということに気持ちを切り替えたいものだ。どんなにインドの文句を言っても、インドは変わらない。


「先進国」とは、あくまでも現代の経済的な側面において、である。人間性や文化にまでも優劣を付け、自らを上としていたのでは、物事を見誤る。インドに暮らせば、忍耐力が強くなり、寛容の心を学ぶだろう。多様性を肌身に感じ、世界の広さを思い知るだろう。さらには将来、世界のどの国に住むことになっても怖くない。長い人生のわずか数年。前向きに暮らしていれば、帰任するころにはきっと、辛い思い出を補って余りある、稀有な思い出が育まれているに違いない。

新旧の価値観が混在

究極の多様性国家を見つめる


住んでいる地方や帰依する宗教、属する階級などによって、ライフスタイルが著しく異なるインド。加えて昨今では、欧米先進国の文化の急速な流入により、人々の価値観が怒涛の勢いで変化しています。世代別の意識格差も顕著になるなか、我々異邦人にとっては、益々、捉えにくいインド世界。たとえ暮らしていても、自分の経験するインドは氷山の一角に過ぎません。先入観に囚われず、柔軟な心で、この国を見つめたいものです。

CONTENTS


●一つの国でありながら、欧州連合よりも色濃い多様性

●新旧の価値観が混在。インド人でさえ戸惑う趨勢

●「インド人は……」を、口癖にするなかれ 

●日本の価値観や常識に囚われすぎない

●パーティで、ネットワークを広げる。その際の注意点

●ご近所さんとのお付き合いも大切に

●トレンドと封建が共存する時代。女性は服装に配慮を

●夜遊び、観光……羽目を外しすぎないように

●少しずつ歩み寄れば、きっと風向きは変わる