BANGALORE GUIDEBOOK バンガロール・ガイドブック

駐在員夫人、それぞれのケース

家族帯同赴任を巡る体験談


現在、この項では、ミューズ・クリエイションのメンバーから寄せられた体験談を掲載しています。リアルな体験談は、同じ環境に置かれた多くの人たちの参考になると確信します。(2019年7月)

【ケース01】公務員/30代/バンガロール帯同赴任期間 2017〜2019


初めての専業主婦に対する不安。焦燥感があったからこその充実した日々。 インド生活でアップデートされた自分


私は以前より公務員として働いており、今回は配偶者同行休業という制度を活用して、夫に帯同してきました。キャリアを中断することの不安はありましたが、以前育児休業を取得した際に、何とか復帰できた経験があったので、今回も何とかなるだろうという見通しはありました。むしろ、自分の性格上、仕事をしないこと、主婦業に専念することに苦痛を感じないかという点が不安でした。


実際、赴任後半年ほどは子供(当時2歳)を家庭で保育していたため、あまり外出もせず友達を作る機会もなく、リフレッシュが難しかったように思います。育児と家事だけという生活がとても単調に感じられ、主婦業はやはり自分に向いていない、早く仕事復帰したいと思っていました。


半年後、ようやく子供を幼稚園にいれ、自分の時間が出来ると、手始めに英語を習いに行くようになりました。その後、ミューズ・クリエイションへの参加、刺繍・茶道・ゼンタングルなどの習い事、友達とランチ…毎日のように出かけるようになりました。


暫くして第二子が産まれましたが、どうしても家にこもりきりになれず、子供をメイドさんに預けて外出することもよくありました(日本では考えられないことですね)。


そうやって忙しく出かけるようになるにつれ、生活にメリハリが出て、仕事をしたいという気持ちはほとんどなくなりました。むしろ、この生活をずっと続けたいと思うようになったのです。よくよく考えてみると、私の場合、『家事育児が苦手だからそれだけでは絶対に息がつまるので、それ以外の何かにせかせかと忙しくしているのが性にあっている。ただし、それは必ずしも仕事でなくてもいい』ということに気づいたのでした。


また、この生活が悪くないと思えたもう一つの理由に、沢山友達が出来たことが挙げられます。社会人になると、出会いがどうしても仕事関係者に限定されてしまいがちですが、駐在生活では全くバックグラウンドが異なる人達と知り合えました。駐在員の奥様付き合いというと、ヒエラルキーがあって気を遣うという勝手な想像をしていたのですが、実際にはまったくそんなことはありませんでした。赴任前は働いていたという方も多く、こちらで大学に通われたり、ヨガのインストラクター資格を取った方などもいて、駐妻にステレオタイプの(ちょっとネガティブな)イメージを持っていたことを反省させられました。本当に色んな人がいて、普段何気ない会話をするだけですが、視野が広がったように感じました。


とはいえ、休職中の身。この三年常につきまとっていたのは、『復職した時に、成長した自分を見せないといけないのではないか』という強迫観念でした。漫然と家事育児だけやっていては何も持って帰れない!という焦り。職場復帰した際に、インド帰りだからこその「何か」を期待されるのではないかという不安。そういった気持ちが私の駐在生活を突き動かしていたのは間違いありません。


英語を習うのも、生活に必要というのが第一ですが、インドで生活していたのに英語が上達しなかったのでは、職場復帰した際に恥ずかしいからというのも理由の一つ。ミューズ・クリエイションの活動や習い事も、インドで何をやっていたの?と言われた時に何か語れるきっかけになると思ったから。お恥ずかしながら、かなり邪な動機です。


とはいえ、どれだけ忙しくしても、家事と子育てに時間を取られますし、何かを極めたわけではありませんから、「復職後のこと」を考える度、言葉にならない焦燥感に見舞われたのは辛いことでした。ただ、結果的に、こういう焦りがあったからこそ、充実した毎日が送れたとも思います。


私はもうすぐ本帰国し、暫く後に仕事復帰する予定です。正直、インドでの経験が具体的にどう仕事に役立つかは、相当、未知数です。しかし、インド人から学んだおおらかさ、人への優しさや強かさ、知り合った友達から得られた様々な視点、インドで暮らすことで気づいた日本の改善すべき点、それらすべてのことが私をアップデートしてくれたと思うので、卑屈にならず、いい意味でインド人を真似て自信満々で職場復帰できたらいいなと考えています。



【ケース02】専門職/30代/バンガロール帯同赴任期間 2018〜


復職に備え、資料を携え赴任したが、専業主婦になったことで家事への敬意も生まれた。仕事に対する考え方に変化


インドのバンガロールに赴任が決まり、それまで勤めていた職場を退職することにしましたが、本帰国後には復職したいと考えていました。それまでは専門職として働いており、今後もキャリアを積み上げていきたいと思っていたからです。また、自分で自由に遣えるお金を確保したいという考えもありました。そのため、スキルアップにつながりそうな書籍やこれまでの経験を鈍らせないための資料を荷物として持って行くことにしました。


バンガロールに行ってからアパートに入居するまでの1週間はホテル暮らしでした。日本とは全く異なる環境に馴染めず、一人で外に出ることもできませんでした。主人が会社に行っている昼間はホテルの部屋で一人映画を見たり、本を読んだりして過ごしていましたが、とても退屈で孤独でした。その後アパートに入ってからも、日本人の知り合いもおらず心細く生活していました。バンガロールでの生活が3週間程過ぎてから、以前に主人が持って帰ってきたフリーペーパーで紹介されていた日本人同好会に参加することを決めました。初めて参加した時は、自分と同じような立場の日本人女性がたくさんいることを知りとても安心しました。また皆さんが活き活きと生活されている様子を見て、バンガロールでの生活を楽しくやっていくことができるように思いました。それからは友人ができて、出かける機会や生活に必要な情報を得る機会も増え、生活に楽しさを感じるようになりました。


またバンガロールに来た初めの頃は、家族のために家事ばかりする生活に不満を感じることがありました。会社で働いていたときは、仕事をすることが自身のスキルアップに繋がり、満足感や達成感があったからです。その後専業主婦になり、家族のためにご飯を作ったり、掃除をしたりする中で、自分は何も成長していないような虚しさがありました。ただ私のそのような気持ちを家族が理解し、家事に対して感謝してくれるようになったことで私の考えが変わったように思います。今では専業主婦という仕事は家族を支える大切な仕事だと感じています。日本で働いていたときは全くしていなかった料理も、いろいろ作れるようになると楽しさや達成感があります。空いている時間には友人と出かけたり習い事に通ったりなど、好きなことをして過ごしており、復職に備えて日本から持ってきた資料はほとんど使っていません。

本帰国後の仕事のことを考えると、今では専門職に復帰し働く技術も体力もないように感じます。就労志向は今もありますが、キャリアにはこだわっていません。どのような仕事や形態でも構わないので家事と両立できる仕事に就きたいと考えています。



【ケース03】医療専門職/30代/バンガロール帯同赴任期間 2018〜


妊娠、出産、休職、帯同赴任……。インド生活でタフに。周囲の人々へ感謝の気持ちも芽生え、夫婦関係は好転


結婚当初、「転勤は無い」と言っていたはずの夫からいきなり告げられたインド赴任の話。私は、へ? バンガロール? どこ? という感じでした。ちょうど同時期に妊娠が分かったので、私はそのまま日本に残ることに。実家で出産、子育てをしながら、二年間の任期が終わるのを待っていました。が、二年後、夫の任期が延長に。正直、子を連れてのインド生活に抵抗はありましたが、これ以上家族が離れて暮らすのもどうかと考え、帯同を決意しました。


日本では、医療機関で専門職として働いていました。現在は、育児休暇を取得しこちらに帯同赴任しています。勤務先は大きな組織でしたが、配偶者の転勤に伴う「帯同休暇」の制度はありません。もしこのタイミングで子がいなければ、退職してこちらに来ていた(と言うより、退職しか選択肢がなかった) と思います。


帰国後の復職に際して準備しておいたことといえば、必要な事務手続きや提出書類を確認し、漏れがないようにしたくらいで、特別に何か準備したわけではないのですが、あえて言うなら自分の現状を職場に知っておいてもらおうとしたことでしょうか。


人事担当の上司に面談をお願いし、今の状況をお話しさせてもらいました。復帰するつもりでいるが、また夫の任期が延びた場合、予定通りに帰国、復帰できなくなる可能性があること、も含め包み隠さず。


育児休暇は、復職することを前提として取得する休暇ですが、そのことについて私自身、どう考えているのかをお伝えしたことで、組織や人事側のお考えも聞かせていただくことができました。互いの意向に大きなズレがないことを確認できたので少し安心し、モヤモヤが残ることなく日本を出発できました。

いずれ戻る際に少しでも気持ちよく戻れるよう、人間関係、コミュニケーションなどは、日頃から大切にしたいと自分なりに感じています。


また、もし自分が退職していとしたら... 帰国後、新たに一から就職活動をするその不安は計り知れません。復職の意志があるのであれば、職場に籍を置いておいてもらえるのは本当にありがたいこと。感謝の気持ちは忘れないようにしたいものです。


忘れられないのは、出発前に上司からかけてもらった一言。私が「当初の予定よりも休職期間が長くなり、こんなに迷惑をかけることになるとは思わなかった」という話をポロッとした時に、「それは考え方を変えた方が良い。あなたがインドで生活をすることで、危険を察知する能力、先回りして問題解決をする能力などが身に付くと思う。そういう力を身につけてまた戻って来てくれればそれで良い。」と言ってもらえました。じーんと涙が出そうになりました。


実際私は、そのような難しい能力が身についたとは思えませんが、

・ものが無いなら無いで何とかする力

・とりあえず何でもやってみる、食べてみる、どこでも行ってみる精神

・︎許す心(相手のことも、自分のことも)

・人に任せる力、人を頼る力


などは身についたかと思います。明らかに一年前の自分とは変わりました。

私自身、どうせ行くなら何かを得たい、インドに来たことの意味づけをしたい、このインド生活を自分のものにして帰りたい、と頭で考えてしまうタイプでしたが、こちらで何か資格を取得したり特別なスキルを身につけることが全てではなく、まずは家族と元気に生活できているというだけで十分。それだけでも、日本では絶対に得られない多くの力が身につく、それを自分の強みにしていけば良いのだと思えるようになりました。


仕事の話とは少し離れますが。初めは、テレビで見るような それはそれは過酷なインドを想像して来ました。なので実際は、あぁこれなら思っていたよりも住めるなぁ。という印象でした。とは言っても、初めの一ヶ月は慣れない新生活の立ち上げと、子の保育園見学、慣らし保育の送迎と付き添いの毎日。それだけでいっぱいいっぱいだったように思います。保育園の先生と合わないことがあった時に言いたいことの一つも言えず、泣いたこともありました。自分のことだと、辛いことがあってもある程度処理してきましたが、我が子に関することとなると途端に弱気になり、やっぱり日本でいたほうが良かったのかな、と思うことも。


今となっては、そんなことはもうすっかり忘れてしまっていましたが、そう思えるようになったのは、家族や友人(もちろんMUSEの仲間も!)、会社の方など、たくさんの人たちのお陰です。日本では、自分で働いて、遊んで、なんでも一人でやりこなしているような気になっていましたが、こちらではそんなものは全く通用しません。インド生活は、一人では絶対に成り立ちません。本当に、周りの皆さんに助けられているなと感じます。


あと、一年間過ごしてみて、夫婦関係も大きく変わったように思います。日本での新婚DINKS時代は、お互いの独身生活の延長のようなもので、夫は毎日終電まで仕事、もちろん時間は合わず平日ほぼ会話無し、という日常でした。新婚なのに早速危機か?笑 と思ったくらいです。今は子がいることで、比較対象にはならないと思いますが、インドに来てからの方がメリハリのきいた生活となるため、家族で一緒に過ごせる時間は圧倒的に多く持てるようになりました。新婚時代よりも確実に、夫婦で話をするようになりました。今は、これだけ家族と一緒に過ごせるのならもっと早く来ておけば良かった、くらいに思えます。いずれにしても、思い切って来て良かった。それだけは言えます。


自分自身の勉強や習い事などに関して言えば、時間はたっぷりあるんだし、英語を勉強しようと思ってこちらに来ましたが、なかなか行動に移せていません。一年経てば自然に、それなりに話せるようになるだろう、くらいに思っていたのですが甘かったです。もちろん来た当初よりは、英語が上手でなくとも 恥ずかしがらず、物怖じせずに話せるようになったとは思いますが。周りには、目標を持ち習い事や資格取得に向けて努力されている方もいらっしゃいます。これを書きながら、ダンボールで眠っている英語テキストを久々に出してこようかな、と思ってきました...


実際こちらには、自分が思っていた以上に、休職して帯同赴任されている方がたくさんおり驚きました。社会や時代の流れでしょうか。職種や背景は皆それぞれ違いますが、そういった同じ境遇の方たちとの情報交換、何気ない雑談などが良い刺激になっており、とても心強く感じています。私も日本に戻ったら頑張ろう、という気持ちになります。


帰国後の社会復帰のための準備は、正直、今はしていません。むしろ反対で、こんな機会は人生でそうそうないだろうし、仕事からは一旦離れ、このインド生活を全力で味わい尽くして帰ろう、くらいに思っています。


ただ一点、気持ちの面で。任期の終わりには、私たちはいずれ日本に帰ります。その意識はいつもどこかに持つようにしています。性格的なものかもしれませんが。日本に帰ると、数年間のブランクから仕事を再開、今のように子の小さな可愛い時期をじっくりそばで見られる時間も減る、そしてもちろんメイドさん無しでの家事が待っています。そんな日々に直面したときにプツッと何かが切れてしまわないように。


インドに来る前は、こちらでたくましく楽しくやっている自分の姿をイメージして来ました。次は、また日本に戻った後。バンガロールを懐かしく思い出しながら、仕事、家事、育児に忙しない日々に多少文句を言いながら?笑、それなりにしっかり 楽しくやっている自分のイメージは、大切に持つようにしています。



【ケース04】マスコミ/30代/バンガロール帯同赴任期間 2016〜


帯同休職制度を利用して赴任。夫の収入での生活にも慣れ新たな境地。復職後、インド生活をどう生かすかが課題


マスコミ業界で入社から11年間、まさに無我夢中で仕事に没頭していました。10年で一人前と言われる業界で、仕事はハードでしたが、やりがいと面白さは何物にも代えがたく、「これが天職。そのために生きている」と思っていました。ただ、30歳代半ばで入籍した頃(別業界で働く夫はすでにバンガロール駐在中)、年齢には勝てないのか、やや体調がすぐれない日が増え(だから結婚したわけではありませんが)、また仕事上でも、自分の能力をすべて出しきってしまい、カラカラに干からびたような感覚があり、新たなインプットを欲していました。少し仕事を離れてみるのもいいかもしれないな、と自然に思いが至り、配偶者海外赴任帯同休職制度を利用して渡印することにしました。


当時、私の勤務先では、帯同休職制度ができてから10年ほどが経過していました。しかし、それほど頻繁にあることでもないからか、利用数が多くなく、私が利用することになって初めて制度の存在を知ったという同僚もいました。理解し、応援してくれる人がほとんどではありましたが、「そんな理由で休むな」というようなことも言われ、悩むこともありました。とはいえ、退社せずに籍を残すことができること、また戻る場所があるということ。それは非常に恵まれていることであり、いろいろ悩みはしたものの、送り出してくれた会社には、ただただ感謝しています。


帯同休職制度がなかったら、おそらく退社していたと思います。上記のような理由で、新たなインプットを欲していた時でもあり、家族と過ごす道を選んでいたでしょう。


渡印の準備はスムーズに進みました。すでにバンガロールに駐在していた夫を訪ねて、3回ほど遊びに来たことがあったため、その際に街の様子を知ることができたことや、夫が同僚やその奥様方を紹介してくれていたことが大きかったと思います。ドライバーや車の手配、荷物の準備など様々なアドバイスを受けることができました。ネット情報だけではなく、生の声、しかも女性陣の話はやはり非常に参考になりました。


バンガロールに来た当初は、新生活に慣れることだけでバタバタと時間が過ぎていきましたが、仕事から離れて束の間のんびりしようと思っていたため、働いていないことへの焦りはありませんでした。英語だけは鍛えておこうと思い、週5日毎日5時間の授業がある語学学校に通い始めましたが、ランチの約束などを優先することもあり、ゆるゆるとした日々でした。ただ、自分の収入ではなく、夫の収入で生活することに大きな戸惑いがあり、自分で稼いだお金で暮らすこと、つまり働くということが自分のアイデンティティの一部であったことを再認識する毎日ではありました。(とはいえ、夫の収入による暮らしには意外にすぐに慣れましたが)


渡印半年後に妊娠がわかり、それからは妊婦生活→一時帰国して出産→生後三ヶ月でバンガロールに戻って、現在は子育てに追われています。帯同休職から産休・育休に切り替わり、育休を使い切った後に復職する予定です。


車移動が主のバンガロールでの妊婦生活は、悪阻の時期を思い出すと涙が出ます。車に乗った瞬間に吐き気に襲われるものの、車に乗らないとどこにも行けないので乗らざるをえない状況が本当に辛かったです。とはいえ、悪阻の時期を過ぎてしまえば、大きなトラブルもなく平和な日々でした。


産後にバンガロールに戻ってからは、初めての子育てに戸惑うのはもちろん、頼れる身内が夫以外にいない状況に孤独を感じることがありましたが、日本人ママによる子育てグループや友人らには随分助けられました。また日々、成長していく娘はやはりかわいいもので、異国で暮らしていることも含めて、貴重で尊い子育て期間だと感じています。


現在の課題は本帰国後、復職するにあたり、バンガロールで得た学び、気づきをどう生かしていくか、ということです。本帰国が近い今、これまでの経験を具体的に整理していこうと考えています。会社に籍があること、戻る場所があることは恵まれていることは間違いありませんが、一方で、子育て期間であったとはいえ、海外で貴重な経験を積んだわけなので、その経験をどう仕事に反映できるかが問われていると感じています。そのプレッシャーを刺激に、復職までの期間を過ごす予定でいます。


最後になりますが、仕事を離れ、異国の地で暮らすことは、とても勇気のいることです。子どもを育てるのは、さらに勇気が必要です。けれど、たっぷり家族と一緒に過ごすことができるバンガロールでの日々には、異国の暮らしの大変さをはるかに超えて、しみじみと恵まれているなと思い、感謝の気持ちがあります。いろいろとインドならではのトラブル続きの日常生活の中で、時には夫と喧嘩をし、時には子育てにあたふたしつつも、家族としてのチーム感は高まっています。働くことはできないけれど、だからこそ得られた時間と経験だと思います。あの時、仕事を離れる決断をしてよかったと思っています。



【ケース05】サーヴィス業/30代/バンガロール帯同赴任期間 2018〜


バンガロールで新婚生活。最初は暮らしに慣れることを優先。現在は帰国後の社会復帰を見据え、具体的に準備中


夫からは付き合う前から、将来的に海外赴任になるかもしれないと聞いてはいたのですが、結婚の具体的な話をする前の内示だったので、思った以上に早いタイミングの赴任の知らせに驚きました。夫の会社としてはバンガロールの帯同赴任の前例がなく、夫も初めての駐在だったので仕事や生活の基盤が整ってからという意向で、結婚式の準備や自身の仕事、自身の資格試験もあったので、帯同時期は夫の赴任から1年後に設定しました。


わたしは、日本ではサービス業をしていました。クライアントとの契約期間があったので、契約期間中の退職は、多くの関係者に迷惑がかかるため避けたかったのですが、上司に相談したところ「やっとご主人と一緒に住めることになって良かったね」と快く送り出してくれました。帯同休暇制度などはない会社だったので、退職するしかありませんでした。


夫の内示が出てからというもの、日々バンガロール関連のブログやSNSで情報収集をしていました。バンガロールにお住まいで、ブログを書いていた主婦の方と直接メッセージのやりとりをし、バンガロールの生活や不安を相談させてもらいました。事前にバンガロールに下見に来た際、実際にお会いしバンガロールを案内してもらい生活のイメージを掴むことができました。また私の帯同までの期間に、夫の会社の先輩ご夫婦が先に帯同で駐在することになり、奥さまからたくさんの情報をいただけたのもとても助かりました。


赴任を機にバンガロールで新婚生活がスタートしたため、主婦業にも慣れず、来たばかりの頃は生活を軌道に乗せることに精一杯の日々でした。日本にいた時は働いていたので自分の好きなようにお金が使えましたが、専業主婦になり収入がなくなったことで自由度がなくなり、後ろめたいような気がしたり、窮屈さも感じていました。


幸い周りの日本人の方々に恵まれ、食材の調達先など生活に必要な情報などを教えてもらうことができました。ちょうどバンガロールに来たての頃に、「インドでの食生活と健康管理」というテーマのセミナーに参加し、たくさんの有益な情報をいただきました。このセミナーの受講が、ミューズ・クリエーションに入るきっかけにもなりました。


赴任当初から、ヨガをしたり、合唱をしたり、家で好きなテレビを見て過ごしたり、日本では忙しくてできなかった趣味を充実させたり、何もかもが新鮮で充実した日々を過ごしました。しかし、仕事を辞め、初めての海外生活で、専業主婦の世界に入り、社会との繋がりや自分の肩書きがなくなったように感じたり、夫以外に貢献ができていないことや、自身のアイデンティティに関して悩んだ時期もありました。


日本にいるときは英語とは程遠い生活をしていたので、日常会話もままならなかったため、周囲の人に迷惑をかけているなと感じたり、英語ができる友人の前で自分が英語を話すことが恥ずかしく思えました。初めての環境で失敗も多く、そんな自分を不甲斐なく思い、どんどん自信をなくしていきました。


赴任したばかりのころは、新婚だったため、夫に気を遣ってしまい、「自分の些細な問題を、仕事で疲れている夫には相談できない」と、悩みを溜めがちでした(今は何でも言えますが)。1人で過ごす時間が長く、自分と向き合う時間も多くなり、孤独感を感じたり、悩みのループに陥ったこともありました。


それを乗り越えられたのは、変な気を遣わずに、夫に何でも相談できる関係性になれたことや、「合わない人とは会わなくていい、いい映画やいい本がたくさんあるから、観たり読んだりした方がいい」という友人の言葉や、インドで働いている日本人女性と仲良くなったことや、同年代の友達ができたこと、日本の友人が電話で話を聞いてくれたこと、一時帰国で昔ながらの友人と会って色々な話ができたからです。


駐在から1年ほどは、バンガロールでどう生活していくかに焦点を当てており、本帰国後のキャリアに対して具体的には考えていませんでした。駐在期間の折り返し地点に差し掛かかった今、ようやく本帰国後のキャリアに関しての情報収集を始めました。ゆくゆくは子供も授かりたいと思っているので、自宅でできる仕事(業務委託、フリーランス)も視野に入れ情報収集をしています。


現在、帰国後を見据えて準備していることが、いくつかあります。まず、将来的に携わってみたい仕事があったので、帯同の日程を遅らせ日本で試験を受け資格を取得しました。また帯同前に申し込んでいた関連の通信教育を、現在、継続しています。将来の選択肢の幅を広げておくため、独学で資格の勉強をしています。このほか、日本の友人の仕事(文字起こし)や、サイトの運営などをボランティアで手伝うなど、バンガロールでもできるリモートワーク(在宅ワーク)の経験を積んでいるところです。